古都のブログ小説 京の鐘894

 

 

 

  御苑の縦ラインのほぼ半分近くで、康則に命じて、行進

  停止の笛を吹くよう康則に命じた。

 

 

 

 低音の縦笛がなった。

 架設舞台近くで一行が足を止めた。

 

 

 

 

 舞台前10m前で停止した一行は、ここから舞始めるので

   花笠の点検や、

   帯締めや草履の確認など、素早く済ませると、

   舞の開始の合図を待った。

 

 

 

 

 列の外側にいて。舞い手をサポートするスタッフが慌し

   く、走りまわった。

 

 

 

 

 もっとも多いのは、喉の渇きらしく、指定された飲み物

 の手配りに、汗を吹き上げていた。

 

 

 

 

 康則も秋山も確かに喉の渇きを覚え、水を求めたが、

 いつ来るか分からないとの声に、

 張り詰めていた肩の力が抜け落ちた。

 

 

 

 

 志乃は元々輿を担ぐ責任者から貰い、そのあと、

「うちの飲み差しやけど、良かったらせんせも・・」

 との声に、即座に頷き、志乃から奪い取るように引き

 取って、一気に残りの水をすべて飲み干した。

 

 

 

 

「せんせ、うちの水、少しは残してくれないと・・」

 恨めしそうに、か弱い声で抗議した。

「そうだった。迂闊だった。これは私が悪い」

 秋山が詫びると同時に康則に、自分の水を志乃へ届ける

 ように命じた。

 

 

 

 

「了解。二本持っているので、1本は姫の目に用意して

 おきましょう」

 相変わらず気の利く男だ。

 

 

 

 

 卒業後は望むなら、

 自分の秘書に引き取りたい男であった。

 

 

 

 

 開始準備完了の笛を吹かせたあと、

 架設舞台に志乃以下、穂香、奈菜、彩、恵にN大の

 小夜が上がった。

 

 

 

 

 向きは占めに遠くから長いレンズを構えている各社の

 撮影班のようすが良く見える。

 

 

 

 

 カメラマンのために用意してある三段組になっている

 場所は狭すぎるように見えた。

 

 

 

 

 この先、何事も無ければ良いのだが・・・と

 余分なことが脳裏に浮かんだ。

 

 

 

 

 その端には脚立を目っ一杯引き上げて、ふらついている

 者が目についた。

 

 

 

 

 老婆心がちらりと脳裏を過った。

 

 

 

 

 準備完了の笛の合図を聞くと、行列の中央付近にいた

 地方衆から初めに、前囃子が入った。

 京都・新・おわらの舞の前囃子がゆっくりと始まった。

 

 

  きたのさ、どっこいしょのしよ

            唄われよーわしゃ囃す

 

 詰めかけた満席から心地よい、どよめきが上がった。

 

 

 

 

 舞台に上がっている上級者の舞台下では、

 沙織子と沙緒の二人が、

 全員の舞に間違いないように、厳しい目を向けていた。

 まだ、

 志乃の息が上がってはいなかった。

 

 

 

     古都の徒然 家康の苦悩が・・

 

 

 

 昨夜、これまで見ていなかった大河ドラマの

 徳川家康を見ました。

 

 

 

 というのも

 この今回のシーンは

 家康を書くときには、なくてはならない所だからです。

 

 

 

 また

 このシーンでは幾通りも筋立てがあって、どけれが

 真実かを争ったら、始末に負えないほど

 難しい場面なのです。

 

 

 

 特に、家康の妻の築山殿に関しては

 結構、

 悪女説が出回っていて、むしろ、善人とする書物が

 少し少ないように思えるのだが・・

 

 

 

 抑々、

 こうした悪女伝説は歴史を知らぬものが書いているもの

 が多くて、

 あの鎌倉時代の北条雅子もまた、

 悪女説がまかり通っているのだから、

 とにかく、気性が荒くて、男勝りであることが

 悪女との思いを連想させるのだろうと思う。

 

 

 

 でも、築山殿が完全無欠かと言うと、

 かなり怪しい影を持っていた女性でもありで、

 この判別は

 まさに

 神のみぞ知るかとも・・

 

 

 

 大河を見ている人へのサーヒス的な筋立てであった

 ことは間違いないことです。

 

 

 

   格言・・ひとつ

 

 

 

 多くのフアンは涙を隠しきれなかったものかと

 思います。

 

 

 

   家康の思いが端的に表れている言葉があります。

 

 

 

 と、あるとき、

 家康の家臣でよく尽くしてくれた老武士が

 妻子を討たれたおり、

 落ち込む、武士に

 「そなたでも、妻子を憐れむ気持ちがあるのか・・・」 

 と、言ったかとも・・

 

 

 

  これは、家康がいくら殺せと命じたとしても

 家臣なら、予の心を寸借して、

 闇に紛れて逃がしてやっても良かったのではないか

 との・・