古都のブログ小説 京の鐘893

 

 

 

             馬上から見る景色は何色にも見える。

 

 

 

 ほんの数分前まで気づかなかった、緑の木々さえ、

 数えきれないほどの色があることに、思わず感嘆の声を

 漏らすところであった。

 

 

 

 

 京都御苑は秋山にとって、

 学生時代から幾度となく訪れた、いわば京の故郷に思える

 ほどの愛着があった所だ。

 

 

 

 

 親友の佐々木俊一と、その妻の三人で幾度なく散策した

 ほろ苦い思いの地でもある。

 

 

 

 

 歳月も過ぎ、四十をいくらか越した年となり、鎧兜姿と

 なって馬乗から眺める御苑の奥深さに、

 息を呑んだ。

 

 

 

 

 佐々木夫婦が我が娘の晴れ姿を見るため、

 来ているはずだが、眼鏡をはずした秋山の目にはよく

 見えなかった。

 

 

 

 

 背後にいるはずの菜奈が父母を見つけていればいいのだ

 が・・との思いもほろ苦く・・

 

 

 

 

 だが、そんな思いも吹っ飛ぶ悲鳴と慌しい騒ぎが前方

 から跳んで来た。

 

 

 

 

 騒ぎの基は、どうも騎乗していた馬が突然、

 棒立ちになって、武将を振り落とし、駆けだした

 もので、真正面にいた撮影班が一斉に、

 その絵を撮ろうとカメラを

 振り向けた。

 

 

 

 

 自社のカメラは近辺に二台あり、少し離れた所にいた

 カメラが放送を中断することなく、

 レンズを此方に向けているはずある。

 

 

 

 

 番組は絶対失敗は許さない補完方式の秋山班はやるべき

 ことをやっているはずである。

 

 

 

 

 転倒した駒が起き上がり、落馬した武将を捨て堺町御門

 を通り抜け、馬首を西に切っていた。

 

 

 

 

 その後を幾人もの男たちが追いかけて行った。

 

 

 

 

 柴田勝家役の山田康則が脇まで、やって来て、

「同じ轍を踏まぬよう、ひと声をかけて来ましょうか」

 何処までも揺るぎのない男である。

 

 

 

 

「そうだな。毎回、言っているが、突然の駒の棒立ちを

 招いたら、必死に駒の首に両手を回し、

 決して離さないことを今一度、伝えよ」 

 秋山もまた芝居かかった台詞を言い、

 康則に下知を下すと、まるで扱い慣れたように手綱を

 引き寄せ、後方へ向かって行った。

 

 

 

 

 康則は何事にも動じない気性があり、頭脳の明晰と決断力

 の早いのは秋山に似て、少々、

 テレが有った。

 

 

 

 

 後方から熱い視線を感じて今一度、後方へ眼をやると、

 志乃が何か言いたげに口を小さく

 開けた。

 

 

 

 

 咄嗟に秋山は康則を追うようにして馬首を切り替え、

 志乃の乗る、輿に近づいた。

 

 

 

 

 ここで支配役の男が何事かと近寄って来た。

 

 

 

 

「我が班は心配はいらん。志乃、いや濃姫を見舞うから、

 そのまま、怖気することなく進め」

 担ぎ手の一人一人が、多少はにかみながら肯いた。

 

 

 

 

 秋山は駒を輿に摺り寄せ、今一度、向きを変えた。

 

 

 

      古都の徒然

 

 

 

    昨日、全国の神社では一年の半年を経て、その身に

 積もった塵芥を払い清める大払いの神事が

 行われたものと思います。

 

 

 

 私の住む京都ではこの大払いの日を7月の最終日の

 31日に行う神社もあります。

 

 

 

 私が京都に住み始めた最初の神事が7月だったのは

 住んだ場所が八坂神社へ歩いても、

 ほんの数分で着く、

 氏子町(住宅地)であったことから、祇園祭の最後の神事

 として7月に大払いの神事が行われていたのを

 見て、とても驚いたものです・・(#^^#)。

 

 

 

 

 本当に全国、所変われば・・変わるのたとえのよう

 な諺があるもので、

 祇園祭のような豪華絢爛の祇園祭の最終日に

 行われる様子に目が点・・・(笑)。

 

 

 

 以後、6月30日に参拝するのを忘れても、

 八坂神社があるから、大丈夫と焦ることは無いと

 安心していたのですが・・

 

 

 

 なんと、昨日、ほぼ一日中、雨だったので、

 一度も外出できず"(-""-)"

 大払いに出かけられず、今年は何がおきるか、ちと不安!

 

 

 

   雨を軽く見てはいけませんね。

 大失敗の巻でした( ;∀;)。