古都のブログ小説 古都の鐘877
秋山はその言葉を聞くと同時に、重い腰を上げた。
穂香が志乃の傍に張り付いていて、
「ほら、言った通りでしょ。せんせはきっと来るって」
穂香が小鼻をふくらませて、得意げに言い放った。
「あとは、わたしが引き受ける」
穂香が無言で席を開け、静かに引き上げた。
穂香も変わったなと・・
秋山も何となく、暫し、話の口火の切り場に躊躇ったが、
気が付けば志乃の手を取り、黙って抱き上げ、
その背に回した手で優しく愛撫していた。
志乃が秋山の胸に抱かれたまんま、顔を見上げ、
潤んだ瞳が唇を求めていた。
秋山がそっと唇を寄せると、首を左右に振り、
嫌々を繰り返したが、
最後はしっかり秋山の唇に重ね合わせていた。
穂香がこれを耳で確認したかのように足音を忍ばせて
引き上げて行った。
ちと、ひと手間かかる娘たちであった。
秋山が京を去る前に、
男子の勇み舞の振り付けを完成させ、
きっと次に来る前に見られるようにしておいてくれと
言い差して帰京した。
時は想定外の速さで更に進んでいた。
康則の知性と決断力が、ものを言っていたのだ。
この間に、秋山の構想がまた、ひとつ増えていた。
この為、いよいよ、日舞・新・おわら研究会の活動が
独り歩きになって来て、
公開日の舞台は雨天でも開演できる体育館の舞台を
そのまんま使うことにした。
会場を室内にすることで、照明効果が格段に上がり、
音声も野外ステージは拡散して、
聞かせどころが散漫になる。
これを室内の、おわらなら見所をしっかり、見せて、
詰めかける観衆の思いを叶わせることが出来るはず
だからだ。
その代わり、
街流しの様相を再現するには、客席間の空間を利用する
ことと、卓球台を利用した花道も取り込み、
おわらの舞を三段に分けて立体的に見せることが
出来るのだ。
秋山の構想を聞いた幹部連は大喝采で、
これを受け入れた。
これは感覚派の穂香のみならず、冷静で比較的距離を
置く奈菜も、相好を崩して声を上げ、
D女大の高瀬彩もK女大の西野薫も、
国立のN大の加藤小夜も歓喜の声も舞い上がっていた。
これに、男子たちの稽古次第で、旨く舞えるようなら、
男女二組が揃い踏みになる可能性もある
との秋山の一声に、
失神したかと思わせる絶唱が闇の夜を破った。
古都の徒然 江戸の風俗習慣・・
5月に入って、
久しぶりに愛読書のひとつを読み直していると、
歴史的に間違っている記述が目につき、
他にも、
いくつかの当時の風俗が聊か、行き過ぎた感じがして
残念でしたね。
また
昨夜、BSのテレビ・ドラマで明らかに間違いがあり・・
仕方がないことは分かるのですが・・
以前、新選組のドラマで間違いを当時の時代考証の
せんせに、
指摘し、訂正を求めたのですが、わずか10秒内外の
映像にいちいち、・・を言われても、と
酷い話です"(-""-)"。
※
ただし、浪人はどんな服装でも、刀を一本しか
身につけていていなくても問題はありませんでした。
テレビで10秒でも、大切な時間で、御覧になっている
視聴者に随分と失礼な話なのに・・
どうも、
以前より悪くなっていることが感じられ、
もう、
古い時代考証なんて、言うだけ空しくなるとの声を
10数年前にも聞いたことがあり、
彼らも本当は付き合うのが嫌になるようで、分かります
と言ったかと思うのですが・・
少し、例を挙げるとすれば、徳川家の家臣や
各藩の武士でも、武士は外出する際は紋付羽織袴姿で
ないと、
上司から厳しく叱責を受ける羽目になります。
身だしなみが、とても厳しいものがあったのです。
それと、外出は必ず日中で、帰宅は暮れ六つ(夜の6時)
までには
帰宅しなければなりません。
これを無視して、居酒屋あたりで酒を飲んでいるなんて
絶対、あってはならないことなのです。
それは、
いつ、いかなる時も、何かがあればすぐ城へ駆けつけ
なければならないからです。
また、藩士と幕府の武士とが、許可なく
どこかで会合することも、あっては、
ならないことなのです。
それと、許可されて、夜間の外出では必ず灯りの入った
提灯を捧げて、
歩かないと、武士の不覚悟として、
叱責を受けるのです。
垣根越しで隣人と会話して、話し次第で
その家へ出向くときも
服装に着替え、大小の日本刀を手挟んでいなければ
いけません。
近くでも油断は禁物なのです。
でも、これはほとんど名目だけで、特別禁止されている
方の家へ行くのには確かに憚りはあります。
ここまで、武士の身分ですが、
町奉行所の同心は武士ですが、袴無しの着流しで町を
歩き回ることは許されていました。
その同心の上司の与力は大小の刀と、紋付袴は要ります。
これも、急ぎ働きの時に遅れを取ってはいけませんので
少しの乱れは許されていたのです。
そして、極めて厳しいのは外泊は絶対にダメなことです。
これも、
いざと言うときに、呼び込みの時間に遅れると
厄介なことになり、
先ずは、
外泊はしてはならないのです。
ただし、
弔問や葬儀のあとの直来などの時は認められます。
以上、簡単な歴史の一齣でした(#^^#)。