古都のブログ小説 京の鐘871

 

 

 

 志乃は新たな催し物への参加が決まり、

 気合が入いったか、体調が徐々に好転し、稽古を週3回に 

 増やしての顔出しに、

 穂香ら幹部たちも大歓迎であった。

 

 

 

 

 何より、新人たちは志乃が稽古場に立つだけで、

 頬を紅潮させ、真剣さが増し、

 日々、上達するのが目に見えて分かるようになって来た。

 

 

 

 

 秋山も一週間ぶりで顔を出すと、新規加入の1回生も、

 目に見えて上達しているのがよく分かった。

 

 

 

 

 白河流六代目家元の白河沙織子や筆頭師範の沙緒までが、 

 安堵の色を見せ、

 とりあえずは10月の舞台で多少の成果が見込める

 ところまで来たようだ。

 

 

 

 

 秋山が沙織子やと相談して、

 志乃の一人舞はこれまで通りの振り付けでやることにし、  

 あと一つの演目の二人舞は、

 これまで嫌がる沙織子に相手役になって

 もらっていたのを男子の山田康則に男舞をやらせる

 ことにした。

 

 

 

 

 だが、抑々、

 舞台で舞う世界とはまるで違うスポーツの空手しか

 見たことも、したこともなく、

 まして舞なんて気の良い康則でも、これだけは固く

 拒んで埒が開かなかった。

 

 

 

 

 秋山には、この志乃と康成の二人舞があれば、

 確実に会場を唸らせる自信があった。

 

 

 

 

 そんな秋山も一時は諦めかけたところ、

 志乃が秋山の意図や狙いを確かめたあと、一人で康則に

 会って説得すると、いとも簡単に折れたものだ。

 

 

 

 

 これには秋山だけでなく、会派の幹部連も、家元も

 唖然として、暫く口が利けなかったほどだ。

 

 

 

 

 そうすると、これを待っていたかのように、

 沙緒が、沙織子と相談の上、新しい二人舞の振り付けを

 持ち出して、秋山を二度驚かせた。

 

 

 

 

 どうやら、前々から沙織子が秋山と志乃の二人舞を

 計画していたようであった。

 まさに、案ずるより安しであった。

 

 

 

 

 康則は皆の前での稽古は嫌がったので、家元の稽古場で

 毎回、沙緒と二人の稽古で、

 ほぼ仕上がったところで、志乃を呼び寄せ、

 合わせてみると、これがほどよく決まったものだ。

 

 

 

 

 これには沙織子も沙緒も唖然として、暫し挟む言葉も

 出なかった。

 

 

 

 

 と、言っても、康則の舞は志乃の出に合わせて動くので、 

 先ず、

 すり足や戻り足等を繰り返し稽古させていたので、

 回転を含め、

 ゆとりのある良質の舞になっていた。

 

 

 

 

 もっとも、

 この為に秋山が沙緒の描いた振り付けの肝心な部分は

 しっかり手をいれて、

 舞の流れに沿った軽い振り付けに代えたからだ。

 

 

 

 

 うっかり、康則が

「せんせの振り付けなら、舞い易くて助かります」

 と一言、口を滑らすと、途端に沙緒が機嫌を悪くし、

 間に入った沙織子が

 汗だくになって康則を口説き落とすまで、志乃も秋山も

 背筋が凍り付いた。

 

 

 

      古都の徒然 言葉の持つ・・

 

 

 

 言葉は遣いようによっては人格が疑われることもあり

 また、

 服装などから足元を見られても、

 言葉遣いによって

 むしろ好感度を上げる働きもあります。

 

   

 

 それと、語彙の豊富な方は創作に向いていますが、

 これが苦手な方は

 子供の頃、作文が苦手であったかも知れませんね。

 

 

 

 でも、業務用の文章は例文があるので、これを下敷きに

 書くことが出来るので、

 筆無精の方でも救われます。

 

 

 

 役所なのではこうした文例が沢山ありますので、

 大丈夫なのですが・・

 

 

 

 私が現役時代に経験したことですが、

 せっかく、一流大学を卒業して、希望した新聞記者に

 なった子が、

 原稿を書く能力が極端にダメで‥

 

 

 

 為に、記事がまったく書けず、親しくなった他社の

 私へ

 電話を入れ、

 記事の書き方が分からず、

 わざわざ教えを請いに訪ねてきたことがあります。

 

 

 

 その時は

 まだ、何もわからないはずで助けてあげましたが、

 それが

 いつまでたっても独り立ちできないのには

 さすがに、参りましたが・・

 

 

 

  この子は選択式の試験などでトレーニングして来て、

 記述式の

 解答には向いてなかったのかも知れませんね。

 

 

 

 多分、

 読書よりも問題解答の勉強優先の結果、

 独創的な

 ものの書き方が身につかなかったのでしょう。

 

 

 

 報道機関では先輩たちが後輩を指導する時間がないので

 記事を書けない子は、いつまでたっても

 育たない子もいました。

 

 

 

 ですが、性格の良い子だったので、希望の職場に

 入って初めて自分の能力の限界を知り、

 どうしていいか分からなくなり、

 夢破れて

 退職することになったのでしょうが、可愛そうでしたね。

 

 

 

 ちなみに、その子は偏差値トップの超一流大学卒でした。

 

 

 

 学力より

 普通の勉強をして読書などの楽しみを持っていたらと

 思いましたが・・

 

 

 

 その後、

 外務省の役人となり、海外へ出かけるまでは

 連絡ができましたが

 そのうち、音信不通となり・・

 

 

 

 でも、元気でいてくれたら良いのですが、

 また、

 そうであって欲しいもので・・