古都のブログ小説 京の鐘870

 

 

 

 新・おわら研究会の本家に当たるD大のおわら研究会

 には街流しの影響をもろに受けて、

 新規加入者が続出し、

 対応する穂香ら幹部も手の打ちようが無かった。

 

 

 

 

 それでも、8月に加入した者から、何とか舞える者も

 増え、後輩指導の助手を務める者も出て、

 新会派の勢いは止まらぬ勢いで

 あった。

 

 

 

 

 D大の新・おわら研究会は10月22日の時代祭への

 参加と、同月末の大学祭での本公演の準備と

 稽古に日を追われ、幹部は休む暇も

 なかった。

 

 

 

 

 幸いにも、志乃は大役を引き受けても、

 精神的にゆとりが出来たか、週に2回は稽古に顔を出し、 

 新規会員たちの大歓声を受け、

 物事の歯車が調子良く回転し始めた。

 

 

 

 

 秋山は校庭内に作られる公開用の舞台への参加を

 できるだけ縮小し、

 体育館の舞台を使い、取材用の照明器具や音響設備を

 持ち込み、

 本格的な舞台に仕上げることにした。

 

 

 

 

 当然、リアル・タイムではないが、

 月火の二日間に癒しのラジオと、癒しのテレビに

 放送することにした。

 

 

 

 

 この為の根回しも旨く行き、スポンサーも新たに増え、

 営業的にも怠りはなかった。

 

 

 

 

 ただ、大学祭と時代祭の期日が一周間しかないのが

 気になっていた。

 

 

 

 

 奈菜や穂香らは問題ないが、志乃が時代祭で輿に乗って

 全行程の三分の一参列する疲れが

 心配なのだ。

 

 

 

 

 志乃自身は気にする風でもなく、

 ただ、自分の我がままで、烏丸から御池通まで穂香に

 代ってもらい、

 三条通から奈菜に代わる三部制に関して、

 時代祭の基幹団体から疑義が出ていることを知っている

 秋山は自分が全ての責任を取ることで

 強行突破していたのだ。

 

 

 

 

 それが認められないなら、

 志乃や秋山自身の参加を見送ることを暗に示唆していた

 ことが気に入らなかったらしいが、

 そんな異論に怯む秋山ではなかったが、

 この事実を志乃に知らせないことに最大限の注意を

 払ってはいた。

 

 

 

 

 万一、気づかれたら志乃の気質から身を引きかねない

 のが最大の悩みでもあったからだ。 

 

 

 

 

 行列が京都御所の南門前(健礼門)からのスタートから

 境町御門までの間、

 全席有料席の前での行列なので、

 左右の客席の声を無視して通過する、これまでの流れを

 無視して、

 軽く手を振る程度のサービスをしても良いと告げて

 あるのも、ある種、賭けであった。

 

 

 

 

 また、志乃らの列から相当先にいる信長役の秋山が

 何度か、駒を返して二組が並列して行進する姿を

 見せることも秘密にしてあった。

 

 

 

 

 何事も先礼に拘る

 京の年寄達に余計な気を立てさせない為にも、

 これも関係者にも厳重に秘密にして

 いたのだ。

 

 

 

 

 バレても、一度やれば二度やっても同じことで、

 堺町御門を潜り抜けても、

 後戻りして仲の良い二人を演出するつもりであった。

 

 

 

     古都の徒然 誤記の訂正に・・

 

 

 

   今日の小説は

 初日の記事と比べると、

 相当、字句の変更があります(__)。

 

 

 

 

 これはいつものことで、毎回、申しておりますように、

 私は原稿の見直しをほとんどしないので、

 訂正するのは最終回前になるのです。

 

 

 

 

 あまり褒められたことではありませんが、

 抑々、印刷された本の訂正は

 機能的に無理な話で、版を重ねるときに手直しする

   方も珍しいのが出班界の通例なのです。

 

 

 

 

 私も以前は歴史家の年号の間違いを指摘しましたが、

 最後まで、改定はありませんでした。

 

 

 

 

 読者を嘗めているのです。

 こちらが史家もどきであることを知らないで(笑)。

 平然と無視する業界の体質の

 低さに呆れているのですが、わたしも50歩100歩で

 あとになって訂正するなら、始めから

 書き直せが正解ですよね(笑)。

 

 

 

 

 返す言葉もありませんが・・・

 でも

 新原稿を執筆する前に前回の記事を読み直して

 初めて知るもので、

 そこで気が付かなければ、救いはありませんが・・(__)

 

 

 

 

 もっとも、製本にして全国発売する場合は

 始めから誤字や等の間違いや

 表現に繰り返しや同音異義になっている場合は必ず

 訂正します。

 

 

 

 当然のことなのですが、訂正しない社もあります。

 それもこれも、手数がかかるからです。

 

 

 

 

 以前も一度書いたことがありますが、

 平安神宮を時代小説作家が平気で江戸時代にある

 との記事があり・・(笑)

  指摘しても 訂正はありませんでした(笑)。

 

 

 

 わたしなら、恥ずかしくて町を歩けません。

 

 

 

 

 どんなに素晴らしい作品でも

 明治に建立され平安神宮を江戸時代にあるなんて

 笑うにも笑えません・・

 ばかばかしいにも、ほどがあります。

 

 

 まさに、

 啞然!

   呆然!

   愕然!  です。

 

 

 

 なので、さすがに

 わたしは、そうした原稿は書く前からわかるので、

 間違えませんが

 重ねりぬりのような表現の繰り返しには

 啞然として

 知らぬ間に、そっと改定しています(笑)。

 

 

 

 今日は少しハイテンションなのは

 久しぶりに心地よい原稿が書きあがったので、

 嬉しさが筆を

 飛ばしているからで・・!(^^)!

 

 

 

 いつもは読まない方も

 今日の原稿だけは読んで見てくださいね。

 

 

 

 

 毎回、締め切りに追われて書いている作品として、

 今朝は

 珍しく旨く纏めてありますので・・・(笑)。