古都のブログ小説 京の鐘867

 

 

   それから、一カ月があっという間に過ぎた。

 

 

 

 

 この間、

   新・おわら研究会へ10月下旬に開かれる大学祭実行

   委員会から最大限の協力要請があった。

 

 

 

 これは、おわら街流しの高い評価を知った上での

   物言いである。

 

 

 

 

 藪から棒とは、こういうことだ、との秋山の捨て台詞が

   志乃の細い両肩に、のしかかって来るのに時は

   要らなかった。

 

 

 

 

 日を置かず、

   委員会から志乃に実行委員長に就任して欲しいとの

   予期せぬ申し入れに、

    散々、断り続けた志乃も、奈菜や穂香らが委員となり、

    山田康則ら警護班が本気で協力するとの

    言葉を信じ、これを受け入れることになった。

 

 

 

 

 抑々、病弱の志乃が煩雑な委員長の職務を遂行する

   ことは到底、無理な話である。

   これは志乃に客寄せパンダを演じさせる狙いである。

 

 

 

 

 人気急上昇中のおわらのヒロインの志乃を担がず

 誰を担ぐかか話し合われた結果が

 これであった。

 

 

 

 

   この為、

 委員長の実務を康則が副委員長となって代行し、

 職務を遂行すると、

 それまで停滞していた、活動が活発になり、

 物事がスムースに回転し始めた。

 

 

 

 

 だが、志乃は志乃なりに余計な気苦労を背負い込み、

 毎週のように心身の疲労で入退院を

 繰り返していた。

 

 

 

 

 下旬には、志乃の名前は即、D大の学祭委員長を表し、

 マスコミからのインターが引きも切れず、

 表舞台の重みに根を上げ、

 秋山に密かに泣き言を聞いてもらうだけが、

 志乃に残された唯一無二の

 息抜きでもあった。

 

 

 

 

 その後、

 新・おわら研究会独自の新企画が秋山から持ち込まれ、

 志乃や穂香らを仰天させた。

 

 

 

 

 奈菜に至っては、とても無理と言って涙ぐむ始末に

 秋山も一旦は諦めかけた。

 

 

 

 

 志乃が秋山の憔悴している姿を見て、

 これを受け入れることを表明し、事態は反転し、

 この企画の面白さを知る結果と

 なったものだ。

 

 

 

 

 秋山から聴く話は警護の男子たちをも巻き込んだ

 舞踊劇で、

 中に簡単な台詞もあり、

 聴けば聞くほど、志乃は胸の高まりを感じていた。

 

 

 

 

 舞台の幕開けは、

 大奥の観音扉から客席を通って舞い出るチームと、

 左右の花道からと、

 本舞台の上手と下手からの登場など、

 総勢120人の舞姫たちが登場する観客の度肝を抜く

 ものであった。

 

 

 

 

 更に、志乃と家元の沙織子との二人舞で、

 舞の美しさと、華やかさから、別れの悲しさを見せる

 流れに、穂香は

 「絶対やりたい」

 鼻息荒く奈菜を引き出していた。

 

 

 

 

 秋山はこの公演を野外ステージではなく、

 照明や音響などの効果が効く、講堂か、体育館かを

 利用しての晴れ舞台にするつもりであった。

 

 

 

     古都の徒然 空を飛ぶのは

 

 

 

 陸自のヘリ墜落事故はさぞかし無念だったかと思います。

 

 

 

 

 まさかの、まさかが起きたのでしょうね。

 もし、

 ロケット砲で撃墜された場合は、ほんの一瞬の出来事で

 死に逝く苦しさを感じる間もなく・・

 

 

 

 

 空の事故が辛いのは、この世との別れに関して

 何も残すことが出来ないままなのが・・

 

 

 

 

 私は子供の頃から、空は鳥が飛ぶところで、

 人が飛ぶ所ではないものと・・。

 

 

 

 

 これと同じく、海はお魚が住む所で、人間が住む

 ところではないと思っていたもので・・。

 

 

 

 

 なので、飛行機には絶対乗らず、もし、どうしても

 乗らなければならない時は

 1時間内に限って乗っていました。

 

 

 

 

 確かに、

 空から見える国内は美しく、眼下に富士山を見た時の

 喜びは

 たまらないものでした。

 

 

 

 

 でも

 あの御巣鷹山へ激突した日航ジャンボの悲劇は

 この世とは

 あり得ない悲劇を生んだもので・・

 

 

 

 

 以後、

 社内で、どうしても飛行機を利用しないていけない

 場合に、誰もが日航ではなく、

 全日空のチケットを求めたもので、上司の中には

 毎回、

 遺言を書いてデスクに入れて行った方もいました。

 

 

 

 

 これを誰も、笑えなかったものです。

 それほど、あれは空前絶後の悲劇でした。

 

 

 

 

 新人がお正月にヘリから見た元旦のの様子を実況する

 のが常だった時期には、誰もが顔を引きつらせ、

 半泣きだった記憶があります。

 

 

 

 

 幸い、私はそんな厳しい仕事はありませんでしたが

 それと言うのも

 私が高所恐怖症だったため、ハワイやアメリカに

 フランスなどの取材旅行をすべて

 断った経緯があったので、良かったのですが・・

 

 

 

 

 空は見上げるもので、飛ぶものではないとの思いが

 今一度、

 心を乱した今回の悲劇でした(__)。