古都のブログ小説 京の鐘851

 

 

 

 秋山は元々、出演者や、

 スタッフらとの打ち合わせの為にスイート・ルームを

 用いたのだが、

 年頃の女の子たちには室内装飾の豪華さや、

 広くて豪華なベッドに吸い込まれたように感嘆した

 ものだ。

 

 

 

 

 だが会議が終わっても、

 中々帰ろうとしないので、仕方なく、宿泊を認めた

 のだが、やはり、不謹慎との誹りは分かる。

 

 

 

 

 その夜はぐずる皆を強く𠮟って帰宅させた。

 

 

 

 

 広いルームでの一人寝の侘しさに、

 もう、スイート・ルームの利用を止めることにした。

 

 

 

 

 会議はホテルの会議室を利用することにして、

 この問題を処理し、

 新たな取り組みを開始した。

 

 

 

 

 翌日は本来なら、東京から放送するお茶の対談番組で

 あった。

 

 

 

 

 出演者は秋山と河野碧アナの二人で、社会問題や、

 スポーツ、文化芸術等のほか、

 時には政治問題も取り上げ、必要なゲストを

 招いて対談する、品の良い番組作りが好評を得て、

 秋山の腕の見せ所の看板番組でもあった。

 

 

 

 

 この日のゲストとして、昨夜、京都・新おわら街流しを、 

 テレビとラジオで全国中継した特番で、

 華麗な舞で観衆を酔わせたD大の有本志乃に

 同級生の佐々木菜奈、お笑い路線で人気急上昇中の

 中川穂香の三人が特設ステージに顔を揃え、

 スタートを切った。

 

 

 

 

 先ずは昨夜、夜の京都を彩った新・おわらの街流しを

 VTRで見せるところから始まった。

 

 

 

 

 深夜遅くまでスタジオ横の編集室で、

 スタッフが汗だくで仕上げたもので、最初の一分で

 観客をがっちり掴んだ。

 

 

 

 

 観客の多くは昨夜、三条通か、新京極らの

 現場にいた者や、

 ラジオやテレビで内容を知っていた者ばかりで、

 どのシーンも

 歓声の切れ間がない人気ぶりで、

 日頃から冷静な河野まで、

 騒ぎに巻き込まれ、嬉しい悲鳴を上げ続けた。

 

 

 

 

 映像の途中の秋山の解説も、上の空の観客の思いを

 汲んで、テープを予定より早く、

 本番用の映像を進め、7分を一気に運んだ。

 

 

 

 

 どのシーンでも、

 大歓声と拍手が重なり、

 スタジオの特設舞台を揺るがす人気ぶりで、

 秋山以下、

 スポンサーら関係者が一応に安堵の胸を撫でた。

 

 

 

 

 観客からの要請で一番人気の志乃の歌謡日舞を

 もう一度、

 見せて欲しいとの要求に、河野も秋山も肯くしか

 選択肢はなかった。

 

 

 

 

 肝心の志乃は相変わらず、恥ずかしそうに俯いていて、

 画像を見る余裕がなかったようだ。

 

 

 

 

 観客から志乃コールが始まり、

 狼狽えた志乃が秋山に縋るように下から見上げた。

 

 

 

 

「皆さんのご要望だ。志乃君、顔を上げて御覧」

 秋山からの声に応え、

 志乃もおずおずと顔を上げ、観客の歓声に応え、

 何度も会釈を繰り返し、

 そのたびに

「志乃姫ちゃーん」

 との歓声に目を潤ませていた。

 

 

 

 

 志乃は無理しても、

 今日の番組に出て良かったとの想いが胸の内から

 せりあがっていた。

 

 

 

 

 隣の穂香まで鼻を赤くして嗚咽をこらえていた。

 

 

 

     古都の徒然 ヴァレタインの・・

 

 

 

  私も兼ねてより、苦慮していた、写真をブログに

  アップする方法を自己流で開発し、

  その第一番目となったチョコを早速、アップして

  みました(笑)。

 

  

 

 

 味はともかく、レストランで会食前にVチョコを

 頂いたのは

 確か4年ぶりかと思いますが、

 甘いもの好きの私は思わず、腰を上げたもので(#^^#)。

 

 

 

 いささか、

 はしたなかったかも知れませんが、

 当日、Vデイであったことさえ忘れていたので、

 歓喜の声をもらす寸前で、

 大人しく、感謝したもので‥(笑)。

 

 

 

 

 わたしを男として、

 扱ってくれた彼女には本気で感謝しましたが・・

 

 

 

 

 ですが、

 これはお返しは大変との思いが思わず、

 脳裏をよぎったのも恥ずかしい限りで・・・!(^^)!。

 

 

 

 今時、

 このような形式のプゼントが贈られる習慣が残っていた

 のですね。

 

 

 

 

 せっかくなので、

 その夜、しっかり二つ頂きましたが、

 中々、抑制のきいた甘さが口に漂うのは良きものです。

 

 

 

 

 こうした遊びも時代と、ともに変形しているらしく・・

 でも

 子供の頃には

 なかったものが成人してからは

 チョコの無い日は絶望的なもので、あってほっとする

 快感は例えようもないものでしたが・・

 

 

 

 

 今でも、そうなのですかね。

 

 

 

 

 わたしの記憶では

 20代で頂いた最高の傑作はミロのビーナスを

 白チョコで制作されたもので、

 よくできていた印象が今も鮮明に残っています。

 

 

 

 その後、

 どうやって、これを食べるか、悩むことになり

 苦衷の日々が懐かしいような

 苦しいような複雑な思いの2月でしたね(#^.^#)。

 

 

 

 

 頂いた数の最高枚数は郵送分を含めて百個を少し超えた

 くらいだったかと思いますが・・

 

 

 

 

 その半分近くが

 教え子からのもので、玄関にあふれるチョコに唖然!

 

 

 

 

  残り半分は役所の女性職員からのもので、

 登庁すると記者クラブの女性が、荷崩れするので

 早く、整理された方が良いかと・・

 

 

 

 

 確かに

 私のデスクに目をやると彼女が整理したチョコが

 まさに山積みに・・

 

 

 

 

 これって、

 どんなに辛いかことかと言えば、

 お礼のホワイトデーのチョコをどうやって、

 お返しするかで・・

 

 

 

 

 例えば、一枚500円のチョコにしても、10枚で

 5000円、

 100枚とすると5万円と、3月に夜逃げしようか

 とも・・

 

 

 

 

 もっとも、

 クラブの職員が各課の女性達に事情を説明し、

 高額商品は無理との連絡が成功し、

 少しは減額できましたが、

 それにしても、大変なことになり、クラブで相当、

 悔しがった若者たちの嘆きが・・(笑)。

 

 

 

 

 ちなみに

 クラブ担当の女子職員にいくつかを渡すと、

 同時に自分の分もしっかり受け取っていたとの後日談で

 一枚も頂けなかった若い独身の記者にも

 配られたと知り、利口な子だなーっと・・

 

 

 

 

 わたしが持ち帰ったものは教え子たちに

 配布しましたが

 翌年から

 高齢者施設や、福祉施設への寄付にして感謝され、

 なんとか面目を・・(笑)。

 

 

 

 

 そんなことが3年ほど続いたはずで、

 教え子たちの中には、結婚しているのに遠方から

 大枚をはたいた豪華な美術品のような

 チョコが・・

 

 

 

 これは私が頂きますと言って、

 妻がある年に届いた美女の裸像のチョコを頭から

 食べたとの

 話にはさすがに仰天しましたが・・(-_-;)。

 

 

 

 それにしても

 美女の裸像チョコを頭から食べたとの話には

 なんてことをと・・

 未だに、あれには悔いが残り・・(笑)。

 

 

 

 

 ケースの箱ごと

 飾っておきたかったなーっと(-_-;)

 そんな過激な悲喜劇のない今が良い気がします。

 

 

 

 

 こうなると来年が今から恐ろしいような・・(-_-;)。