更新原稿  

       古都のブログ小説 京の鐘824

 

 

 

 志乃が一人舞い用の裾模様の艶やかな豪華な西陣織の

 着物を見せられると絶句して暫し口が

 利けなかったが、

 「うち、こないな、本物なんて身にあまります。せんせ、

 堪忍しておくりやす。母が見たら、笑いが止まらない

 気いがします」

 と、本気で弱気を晒す。

 

 

 

 「君にもっとも相応しいと言って、家元さんが用意して

 下さったもの。御礼を忘れずに」

 泣きそうな面持ちで小首を折った志乃のしおれた姿に、

 秋山が想像もできない志乃なりの

 苦悩を改めて知り、

 「本当にあまり気にしないで、いつものように素で舞って

 くれるといいんだよ」

 と励ますと、

 

 

 「せんせ、舞台袖にきっといてね。うち一人じゃ、舞台は

 絶対無理」

 と、言って涙ぐみ、秋山を焦らせた。

 

 

 

 未だ、通路になっている新京極通にはあの簡易舞台は

 組み立てられていなかった。

 祇園祭の際に、長刀鉾の役員からの指示で、

 ビール箱に、ベニヤの厚板を置く簡易舞台をセットした

 ことがあり、

 今回は元の舞台の二倍の広さにしてもらうことで、

 前に増して、

 彼らの厚意に縋る積りだった。

 

 

 

 その際、

 四条通と河原町通の大手通りが揃っておわらの参加を

 断った経緯があり、

 少々の拘りが抜けてはいなかったが、舞台のセットは

 間違いなく組み立てるとの言質を取ってあり、

 心配はしていなかった。

 

 

 

 彼らの本音は商店街組合の思いとは裏腹に、

 やって見る思いがあったようだ。

 

 

 

 この為、未だに何となく、掛け違いが治まっては

 いなかったのだが、

 秋山の思いは汲み取っていて、来年はこちらが役員を

 出すので、

 絶対、今回より拡大した企画で、やって欲しいとの

 思いを託されていたので、舞台に関しては、あまり心配は

 していなかったのだ。

 

 

 

 いよいよ本番2時間前になって、本格的に道路封鎖が

 開始され、

 各通りでは店先の一部を張り出して、大きな容積に氷を

 入れ、中にアルコールを除いた飲料水を

 入れ始めていた。

 

 同時に各店一個の提灯と雪洞にも燈が入った。

 

 

      古都の徒然 舞子・・芸妓の・・

 

 

  

 

  祇園祭の宵山で奉納舞を務めている舞妓ちゃんです。

  名前はすっかり忘れてしまい・・

  祇園でも売れっ子でしたね。

 

 

  つい、先頃、

  当マンション内に若い芸妓さんらしい方が

  姿を見せ、

  エレベーター内で、

  挨拶を交わすこともあり、なんとなく若やいでくるのも

  仕方のないもので・・(#^^#)

 

 

 

  こうした舞子さんが一人立ちすると、

  屋形(置き屋)から抜けて、一人暮らしが許されるので、

  何年か前から、よく姿を見る機会が

  増えて来ました。

 

 

 

  彼女たちの多くは

  ある置き屋さんの芸妓であると思われ・・・。

 

 

 

  何故、それが分るかと言うと、その部屋は以前、

  芸妓の借り部屋で、あったことがあり・・・

 

 

  実は

  その置き屋の一代前の女将さんと私が、

  わりと仲が良く・・・

  と言うのは彼女は私が管理組合理事長の時、

  彼女が副理事長になった時からの

  付き合いで、

  彼女が末期癌になって永久の別れになりましたが

  死ぬ前に

  彼女の店で、舞妓を呼んで、

  爽やかな、

  クリスマスイブを楽しんだこともあり・・・

 

 

 

 

 今は妹さんが仕切っていますが、この方はとても

 冷酷なほど厳しい方で、それでいて、

 管理組合のルールをまったく守らず、為に不快感が

 拭えず・・

 

 

 舞子ちゃんは20才で卒業すると、普通、芸妓になれる

 のですが・・

 

 

 平安神宮での豆撒きです・・

 

 

 ですが、中には、

 一人前になっても、ダメだしをする女将さんに

 嫌気が差して、跳び出す子もいて、

 

 

 でも、今は

 余程、運のいい方でないと、資金の無い舞妓さんの

 独り立ちは難しいのが現状です。

 

 

 そんな経緯を知っているので、

 多分、今の妓も、

 同じ状況を積み重ねて、きっと去って行くことだろうと

 見ているのですが・・。

 

 

 

   

   この妓とは気軽に話せる仲で(笑)。

 

   彼女は祇園では無く、直ぐ隣の花街の舞子さんで、

   ここの舞踊の流派が私が学んだ流派と

   同じなので、

   話があったのかも知れませんが・・

 

 

  彼女は容姿が可愛いのと、

  舞が旨いので、

  マスコミ受けが良いのですが、大人しくて、

  口が重く、人気だけで、何とかやっていましたが、

  性格も

  控えめで、本質的には舞子に向かない妓でしたので

  何で舞子ちゃんになったのと聞くと、

  中学の

  修学旅行で来て舞子さんの演舞を祇園会館で見て

  舞子になりたくなった

  とのこと・・

 

 

  彼女の熱烈なフアンの多くは俳優か芸能人で、

  歌舞伎俳優も

  本気で好きなって、大騒ぎなったかと思うのですが・・

 

  

  もしかして、私が別の妓と錯誤しているかも

  知れません。

 

 

  当時、

  上にアップしている妓のように愛くるしい妓が

  何人もいましたので(^'^)。

 

 

  近年、

  私は明らかに記憶力が減退していて・・少し、

  心配なのですが

 

   

  なお、

  祇園で、お座敷に上がれるのは、常連さんの紹介か、

  一緒にお店に顔出しすれば

  次からは簡単に上がれますが、支払いは銀座の

  高級クラブで遊んだのと同じ程度なので、

  考えて行かないと、

  お財布が空っぽになるので、気をつけて下さいね(笑)。

 

 

  今夜はこの辺で・・(笑)。

 

 

  ※なお、舞妓さん達の写真は全て私が撮ったもので、

    無断引用はご遠慮下さいね。