古都のブログ小説 京の鐘821

 

 

 おわらの舞の特徴のひとつに、テンポが普通の日舞の

 踊りより、ゆったりとした舞が全編、

 活きていることだ。

 

 

 

 更に、

 どんな振り付けも丁寧に、まるで茶茶道の作法似た

 静かな動きに、どことなく、品が漂うのが最大の

 見せ場となることだ。

 

 

 

 その舞の奥義かと思わせる志乃の舞には

 単に技術的な旨さだけでなく、舞姫の身に備わっている

 犯し難い気高さとか、

 気品が見る者の心を掴むのだ。

 

 

 

 これは稽古量や指導方法などで起こり得るものでは

 ないのだ。

 

 

 これに早々に気付いたのは、六代目家元の沙織子で

 あった。

 

 

 

 さぞかし、末恐ろしい娘に見えた事だろう。

 

 

 

 出あって三ヵ月で、志乃を次の七代目家元に推挙する

 と宣言したのも当然なのかも知れない。

 

 

 

 自分にはない志乃の舞姿の美しさと、舞い終えた後に

 漂う絵にも言えない余韻には、

 ほとほと参っていたのだ。

 

 

 

 沙織子は直接、口にはしなかったが、本当のところ、

 志乃の舞に勝てる自信がなかったのだ。

 

 

 

 沙織子の期待通り志乃は教えることをすべてを即座に

 演じられる、

 神がかったような一面を見せ、陪席していた

 秋山や沙緒を唸らせたものである。

 

 

 

 また、長く、

 白河流の舞を学んで来た古参の師範たちからも

 驚嘆の声が上がり、

 沙織子の七代目にとの思いが呑み込めた

 ものであろう。

 

 

 

 今回のおわらの街流しについても、

 誰もが時を置かず同意して、舞姫たちのアクシデントに

 対応すると、声を上げたものである。

 

 

 

 いつか、うちらも、あないな品のある舞が舞えるなら・・

 と儚い夢を見ている者もいた。

 

 

 

 夢なら醒めるが、

 本物の志乃の舞をほんの少しでも見られたら、

 それだけで、自分の舞が上達したような錯覚に陥る

 者もいた。

 

 

 

 それを肌で感じるからこそ、

 志乃も少しでも役に立つならと、お手本の舞を演じて

 見せるのだが、

 大概は途中で、足元が少しでも揺らぐと、

 穂香が悲鳴を上げて跳び出して来て、志乃の腰に

 縋りつくので、

 みんな、夢が一瞬にして弾けてしまうのだ。

 

 

 

 その日、遅く、呼び寄せていた警護班の田中康則らに、

 おわらの街ながし中に、

 志乃を乗せて歩く輿を担がせてみて、何かの問題が

 無いかを尋ね、

 担ぎ棒に白い布を巻き付けて欲しいとの要求に応えて

 係の者を走らせた。

 

 

 

 確かに4人で輿を担ぐには重過ぎた。

 

 

 

 本番では担ぎ手は8人にしてあったので、

 明日の本番前日にはすべてが揃うので心配は

 無かった。

 もっとも志乃の身の重さを聞こうにも、嫌がるので、

 これだけは勘に頼るしか道は無いのだ。

 

 

 

 田中は仲間を誘い、

 「志乃姫の一人や二人、若いもんは確実に担げ

 ましょう」

 景気よく吠えた。

 

 

 

     古都の徒然  大好きな・・(笑)。

 

  

   御承知の通リ

 わたしは散歩が大好きです(*^-^*)。

 

 

 

 始めは日頃の運動不足解消の為と理由づけをしての

 繁華街散歩でしたが、

 いつの間にか、習慣になって来ると、

 もう、

 散歩ができない雨天は、がっかりする一日となり・・(笑)。

 

 

 

 今では

 猛暑でも厳寒の冬でも、完全装備で出かけているので

 少し、頭が可笑しいのかも知れません(--〆)。

 

 

 

 何がそんなに楽しいのかと、思い返して見ると、

 行き交う人々を見ているだけで、独りぼっちではない

 との無理矢理のこじ付けでと

 楽しければいいじゃん!

 に、なってしまい・・(笑)。

 

 

 

 

 今は親子連れの赤ちゃんや幼子などに出あうと、

 それだけで、

 もう、満面笑みが浮かんでいるのが、自分でもわかる

 気がするほどで・・(*^-^*)。

 

 

 

 

 勝手に幸せの横取りみたいで、申し訳ないのですが

ヽ(^o^)丿

 

 

 

 とにかく、

 うちのマンションのエレベータ内であかちゃんや、

 幼子と

 乗り合わせると、その日一日が

 幸せになると信じたいほど大好きで・・(^'^)

 

 

 

 

 自分の両親も今の私の歳には同じことをしていた

 ことを

 思い出し・・・

 

 

 

 そんなに待ちこがれていたのに、我が子が授からず、

 それでも、

 ふたりから孫を待っているよ、

 との、ボヤキを一度も聞いた事も無く、今にして思うのは

 両親の優しさが堪らなく有難く、

 そして、恋しくて・・・(-_-;)。

 

 

 

 こんなに赤ちゃんや、幼子が大好きなのは

 なんなのかと考えると、

 無いものねだりとは別で、

 我が家では一度も、子どもの泣き声を聞いたことがない

 ことや、

 抱っこして成長の足跡を見る嬉しさを堪能していなかった

 からかと思えるのです・・

 

 

 私の

 あの繁華街での散歩の楽しみは当分、変らないと

 思います!(^^)!。