古都のブログ小説 京の鐘815

 

 

  

 一時外出の制限時間が迫っていた。

 

 

 

 もう、これ以上遅くなることは避けなければいけない。

 

 

 

 慌ただしく、病院へ戻ると主治医がやって来て、

 「今朝の検査結果からみて、おわらの街流しまでには、

 体調の復帰が可能と出ました。でも無理はいけませんよ」

 と、言って、志乃を喜ばした。

 

 

 

 「付き添って来た、看護師長が当日、私はせんせと

 一緒に、

 本番を見学しながら、志乃さんの体調の持持に務める

 予定なので、楽しみにしていますね」

 と、明るい笑顔を見せ、足取り軽く戻って行った。

 

 

 

 「わたしは、そろそろ帰るが、君は明日にでも幹部たちを

  呼んで、今日のコピーを元に、皆に説明しておいて

  くれないか」

 

 

 

 「せんせがいないと、うち1人だと心許ないのだけど・・」

 

 

 

 「大丈夫だよ。

 いつも言って来たことだから旨くいかなくても、

 私が戻って

 来たら、もう一度、説明するから、その前座だと

 思えばいいからね」

 との秋山の言葉だが志乃には今一、しっくりこなかった。

 

 

 

 「新・おわらの振り付けの決定を、せんせのいない所で

 決めてもいいの」

 

 

 

 「わたしは君の振り付けに何も付け加えることはないから

 自信を持って、舞いなさい」

 

 

 

 「まだ、少し迷っているところもあるので、

 今一度、お帰りになられた後で、手をいれて下さいね」

 秋山は軽く頷き、腰を上げた。

 

 

 

 もう、車輪は急回転で回り始めているのだ。

 志乃の回復が恐ろしいほど早く、まさかの連続で、

 ことは一気に走り出していた。

 

 

 

 穂香や奈菜の呼びかけで、D女大の高瀬彩やK女大の

 西野薫が集まり、志乃から当日の流れの確認をして、

 その他のことも、当初、話し合った通りになり、

 家元の沙織子にも、

 その旨を伝え、了を得た。

 

 

 

 ここが意外と簡単に話が進んだのは、前日に秋山が

 電話を入れ、概ね了解していたことと、

 志乃の体調次第で、二人舞の用意も頼まれ、渋々だが

 了解を得た。

 

 

 

 沙織子は、男役はもう嫌だとの思いはあったがテレビ

 中継があるとの話で頷いたものだ。

 

 

 

 だが、問題は志乃の体調次第で進行表は変る可能性も

 あり、正式な確定にはまだ遠かった。

 

 

 

 また、

 新しく配られた藍染の手拭いには志乃ら五人には名前

 入りのものを、

 その他の者は白抜きであったが、後からでも筆で書き

 入れることも可能だとのことで、話は落ち着いた。

 

 

 

 最後に、化粧直しの場所や汗ばんだ肌着着替えが必要

 な子の為の場所などは各商店街が

 責任を持って用意するとの話が秋山から伝えられ、

 一件落着した。

 

 

              古都の徒然 私の小説作法・・

 

 

  このタイトルで、これまで、

  何本も書いていますが、今回もまた、懲りなく書く

  つもりです・・・(笑)。

 

 

 

  小説って本当に可笑しなもので、

  現実にある世相を組み込んだ創作が、その大多数を

  占めているようですが・・。

 

 

 

  もっとも、

  創作と言っても、時代もので、実在人物を描く作品では

  その作家の歴史史観や好みが

  よく現れていて、

  そんなバカな・・と思わせる展開が堂々と描かれていて

  これが映像作品になると、

  一見、

  真実のような展開には色々問題が生じるものです。

 

 

 

  これは

  歴史観とは別に、資料では何も書かれていない空白の

  時代があって、

  それを利用して、作家の空想力の差異によって、

  まさかの展開が起きるわけです。

 

 

 

  私がその昔、

  京の街歩きで、講座の受講生の皆様をご案内すると、

  当然、

  幕末の史実が残る場所では

  確定的な事実に加え、その前後から、私なりの解釈が

  生まれ、

  そうすると、時には

  恥ずかしながら、新解釈が生まれる事もある分けで(笑)。

 

 

 

  そうした中で、

  現在、放映中の大河ドラマでも作者が

  色々、工夫して、新解釈でドラマを盛り上げようとすると

  これまで、

  史実と思われて来た行為と、まったく違う解釈で作品が

  推移することになり、

  私はただ唖然とするばかりで・・・

 

 

 

  実例を取り上げて見るのも面白いのですが、

  現在でさえ、議論の余地のあることで、

  流石に私も口を差すことには多少の遠慮が生まれ・・・

 

 

  時代小説にはこうした作者の思いつきで書かれる

  作品も色々あるのです。

 

 

  問題にならなかったのでは義経の切腹の場では

  敵方が入って、見届けるような

  展開には唖然!

  と、するばかりであり・・・

 

 

  また

  静御前が頼朝や政子の前で、

  恋する主の義経を忍んで舞うのが通例ですが

  私は今回も、

  その場面を期待していたのですが、

  テレビでは荒武者のような大胆な解釈で舞う姿の

  静御前にイメージがガタガタと崩れ・・

 

 

  作者の三谷幸喜はこうした破滅的な解釈をいつも

  売りにしていて、

  案の定、視聴者を驚かせる仕組みにうんざりしたのは

  私一人でしたてでしょうかね・・・と

 

 

 

  次に、歴史上のもっとも残虐無比な武将と言えば、

  織田信長を思い浮ぶべるかと

  思いますが、

  私が大嫌いな豊臣秀吉も相当、えげつない刑罰を

  平気で行っていて、

  よくテレビ等で見られる面白い台詞や軽妙な態度に

  魅かれて、

  好感を持っておられる方が多いのですが、

  私の歴史散歩で、彼のした卑劣な仕置きを述べると

  たいていの方は唖然として

  口数も少なくなり・・・

 

 

  このように

  小説やドラマで実在人物を登場させる場合には、

  時折、

  行き過ぎた心無い表現を書く作家がいて、私なんかは

  即、読むのを止めますが・・。

 

 

 

  今朝は現代小説の嘘と真について書くつもりが

  前段が長くなり過ぎて、

  もう締め切りの時間になっていて、それは、またの

  ことにして今回はこの辺で・・・