古都のブログ小説 京の鐘812
前回と同様、回廊に戻り、梵鐘の見える場所まで来て、
手にしていた靴を履き、
緑の絨毯の上を歩いて、梵鐘の突き棒近くまでやって
来て足を止めた。
「煩悩を癒すはずの梵鐘だが、今回だけは生々しいが、
京での初めての新・おわらの街ながしの成功を祈る
しかないのだが・・いいかな」
秋山が神妙に告げたので志乃も一瞬、顔を上げ、
秋山をまじまじと見つめた。
「おいおい、そんなにマジに見るなよ。
テレるじゃないか」
秋山が年甲斐もなく、顔を赤らめるのに志乃はまた意味
不明の笑みで応えた。
「どうする。今回は一回限りにして、二人で力を合わせ、
念願の町流しの成功だけを祈ろうか」
秋山らしくない堅苦しいもの言いに、
志乃が秋山の目をしっかり
見つめて
「うち、せんせの言わはる通り新・おわらの街流し成功を
祈って突くことにします。宜しゅうお頼み申します」
「分かっていると思うが口にせず、胸のうちで祈願
するのだよ」
「分かりました。では、この突き棒の引き縄を両手で
持って、打てばいいのね」
志乃は少し気が立っているのか、余裕が無く目付きが
鋭くなり、本気で突く意図が明確に分かった。
秋山も、
洒落や冗談では無く、マジでこのイベントの成功を
土産に、以後の活躍に弾みを付け、
就任したばかりの常務取締役席に遠慮なく座ることになる
だろうと、若干、甘い予断を抱いていた。
志乃が突き棒に巻かれている引綱を解き、
二つに分けて、一つを秋山に
手渡した。
「ありがとう。でも、その先に、手を合わせて祈願を
済まそう。突くのはその後からだ」
秋山も次第に本気モードに入っている自分に半分
テレていた。
志乃の手を合わせた白くて細長い指が眩しい。
何処までも純粋な志乃が愛おしく、胸が高鳴り、
恥じらってもいた。
「せんせ、合図をして下さい」
との志乃の求めに応じて、
「では、先ず、祈願を胸の内に三回唱えて、それから
引き綱を持つことにしよう」
雑念が消えた。
しっかり、
9月1日のおわらの成功を祈って顔を上げると、
横の志乃が目を閉じてまだ長い祈りを
続けていた。
待っているのも嬉しいものと、想ったとたん、目をあけた
志乃が次を求めた。
「では、突くか」
と、言って突き棒の綱に手をかけた。
志乃がしっかり綱を握りしめたのを確認して、大きく、
突く棒を引き寄せた。
はずみで、突き棒がすーっと梵鐘に突き当たった。
古都の徒然 いいねの不思議?
もう、ずっと前から何度も不思議な事として、
記事を書いてきましたが、未だに理解できないものがあり
それを
今回もう一度書くのは、近年、その理解できないことが、
とても多くなっていることで・・
いいねのことなのです。
これは懐かしい顔や、初めての方や、いつもの常連さん
など
いいねを入れて頂く皆様のお気持ちが嬉しくて・・(#^^#)。
あること自体は賛成なのです。
ところが、
今日も早々とありましたが、理解不能な出来事とは
いいねの数と顔の数があわない事なのです。
わたしはこの疑問を考えるに当たり、
毎回、いいねを入れて頂いた方で、拝見した最後の方の
お名前と、いいねの順を
ノートに書き込む作業を何年も前から行っているのですが
例えばAさんのいいねの順が250番として、
次の最期の方の顔が7番目なら、いいねの数は257番に
なるはずですが、
実際は255番なのです。
でも顔の数は明確に7人おられるのに、2人足りない
のです。
これはどうみても可笑しい話ですよね。
以前はそうした場合、入れた方の中で何かの操作
の誤りがあって、起きることで、
アメバの操作ミスではないとの事でしたが
なら、
具体的に何の操作ミスなのか、未だに分からないので
すっきりしないのです。
誰がミスをしているのか、分かれば、直接、その方へ
連絡してあげる機会もあるのにと・・
それと
いいねを入れる使用可能な数とは何なのでしょうか。
何を基準にセットされるのか知りたいのですが・・
多分、
これがいいねの数との誤差との関連がある気がする
のですが・・
まだありますが、
この疑問にお答え頂けるなら有難いのですが・・
宜しくお願いしますね(__)。