古都のブログ小説 京の鐘772 

 

  

    休息のあと、稽古を再開すると、始めは疲労が

    蓄積していたか、覇気が無かった舞に

    勢いが戻り、節目節目の決め技が決り、前後左右の

    舞手の足の運びが揃っていて、

    見違えるような振りの確かさに、目を見張るものが

    あった。

 

 

    更に、

     志乃が舞台上から品格が窺える鮮やかな舞を

     見せると、

     沙織子と沙緒が、

     これに負けじと腰の切れの良い舞を見せ、

     階下で舞う子らの動きに確かな変化が認められた。

 

 

    秋山はこれで本番は間違いなく、いけるとの思いが

     固まった。

 

 

    稽古は熱く続いたが、

     二時中頃に志乃や穂香らがT屋のスタジオへ

  車を走らせた。        

 

 

  沙織子と沙緒が彩や薫らに指示して、

  身につき始めた舞の決め技を

  忘れさせないよう、何度も繰り返させていた。

 

 

  到着早々、

  穂香や奈菜がミニ舞台の客席を埋めた

  観衆の盛大な迎えの拍手に、

  笑顔で応え、

  志乃は秋山の後を追ってサテライト・スタジオに

  入り、呼び物の朗読劇の野菊の墓の

  下読みに入った。

 

 

  ほぼ、

  ひと月をかけて野菊の墓もいよいよ終盤に

  入っていた。

 

 

  これを聞くのを楽しみにしているミニ舞台の

  客席を埋めた参加者の多くが、

  文庫本を手に先読みを

  進めていた。

 

 

  みんな、今日の頁を、志乃がどう読むかを

  楽しみに待っているのだ。

 

 

  志乃は行間を読み取る旨さが聞く者の感情を

  揺さぶりだすと、声がソフト・トーンになり、

  静かだが言葉の切れが良いため

  聞きやすく、ガラス越しの常連のフアンたちを

  唸らすのだ。

 

 

  ラジオから流れるでる志乃の朗読の始まるのを

  今か、今かと待ち構えていた。

 

 

   スタジオを取り囲む所にいる多くのフアンから

   声が消えて行き、

   マイク・テストの志乃の優しい物言いを、

   静かに耳を傾け向け始めた。

 

 

   店内に散らばる化粧品や宝石販売らの

   販売員らも次第に手が

   止まり始めた。

 

 

   やがてプロデューサーから番組始まる前に

   いくつかの緒注意を話し、

   また、

   歓声や拍手はADが支持するので、

   協力を求めるなど、

   始まる直前まで説明し、本番一分前から

   カウントを取り始めた。

 

 

   毎回、

   来ているフアンたちはもうも聞き慣れた

   言葉を静かに聞き、Qサインを

   待った。

 

 

   やがて、

   カウントがテンを切り始めると、

   声を揃えて言い出して、笑いを誘いながら

   開始を待った。

 

 

   Qが入ると同時に秋山から

   「みなさん、こんにちは。今日は如何お過ごし

   ですか」

   との毎回の始まりの挨拶をADの指示に従い、

   済ますと、

   盛大な拍手がこれを出迎えた。

 

 

   その後、

   ひとこと話すと、開始一番のCMに入った。

 

 

   聞き耳を立てている各コーナーの

   販売員たちも毎回のように拍手を贈ってくれていた。

 

 

                 

      古都の徒然 直弼暗殺はピストルか・・

 

 

  先日来、

  安政の大獄の首謀者の大老・井伊直弼を桜田門外で、

  襲った

  水戸藩浪士の関鉄之助が鳥取藩士の

  安達清一郎を頼って鳥取まで

  逃げて来て、

  その折りに、

  「直弼は自分がピストルで撃って暗殺した」

  と語ったとの

  記述が清一郎の日記に書かれていて、

  鳥取県立博物館で公開されているとのことです。

 

 

  私は安政の大獄は専門外ですが、

  これまでは

  ピストルで撃ったとの事実は確かに、ありましたが、  

  その弾は

  直弼の腰から太ももをつら抜いていたとの説で

  撃たれたピストルは致命傷になって

  いなかったので、  

  籠から引き出されて、

  首を撥ねたとの説が有力視されていました。

 

 

  ここで新たな記述が出て来たのですが

  この記述が正しいか否かは

  また、別物で、

  暗殺したという関鉄之助の言葉の信憑性の

  有無が明確になれば

  歴史的な発見となるわけですが、

  これから、どうなるかは更なる資料の発見が

  待たれるところです。

 

 

  何より

  関の言葉と同様の趣旨の文章が別の浪士らの

  書付などから見付れば、

  信憑性が高まるかと思いますが・・・

  さて、どうなりますか

  今後の研究が待たれます。

 

 ※ 日経新聞・朝日新聞の記事参照