古都のブログ小説 京の鐘755

 

 

  京の春夏秋冬を詠み込んだ祇園小唄は作詞

  長田幹彦 作曲 笹々紅華の名曲で、

  京の唄と言えば

  始めに必ず思い浮かぶほどで、大観衆の人気を

  独り占めした感が有った。

 

 

  また、志乃の舞も見事な出来栄えであった。

 

 

  緩急自在に舞い踊る姿はとても、病み上がりとは

 思えない達者な振りであった。

 

 

  殊に志乃の指の使い方が絶妙で、

  川床のテラスで観ていた先斗町の舞芸妓たちも、

  思わずひと膝を乗り出し、

  息を潜めるほど惹きこまれていた。

 

 

  先斗町の川床の組合長は放送席の隣の来賓席の

  テントにいて、

  始めて観る大学生の素人の舞と

  たかを括っていたはずが、舞芸妓たちと同様、

  声もなく、

  ただ喰い入るように見詰めるばかりであった。 

 

 

  彼はビデを観ていたが、

  所詮、生で観る舞との乖離に気付くのが遅かった

  だけであったが・・

 

 

  締めにはセンターに立つ、志乃を奈菜と穂香が

  両サイドで片膝をつき、両手を開いた、

  ひらひらで志乃を支えた。

 

 

  これに応えて、志乃が両袖口を指で取り、

  両手を胸の前で合わせた静止ポーズを決めた。

 

 

  ひと呼吸、間を置いて、爆発的な喝采が夜の闇(しじま)に

  穴を開けた。

 

 

  少なくとも、

  その夜の出来の好さは、志乃の祇園小唄が全てを

  物語ったていた。

 

 

  白河流の祇園小唄は客に媚をうる座敷芸の

  類のものでは無い清潔感があり、

  詰めかけた観衆らは志乃の際立つ美しき舞に

  翻弄させられていた。

 

 

  隣席にいる河野アナも一瞬も目が離せないようで、

  志乃の上品で

  胸高に結んだ帯と着物の裾模様にも

  釘付けとなり、

  彼女の技量の高さにも驚きを禁じ得なかった。

 

 

  モニターの映像はこの河畔からは見えない、

  鳥居から左大文字へとカメラが

  切り替わった。 

 

 

  五山の送り火のラストを飾る前に急ぎ、

  白河流社中の総踊りへとつき

  進んで行った。

 

 

  東山側の舞い手らが

  遊歩道路に沿って南北に勢ぞろいし、

  西側の特設舞台を中心とした広場には

  白河流の家元や筆頭師範に志乃や穂香に続いて、

  D女大やK女大の幹部クラスと2週間で、

  振り付けを覚えたばかりのメンバーが

  舞い始めの指示を待った。

 

 

  時はもう、残すところ、6分を切っていた。

  秋山の手が降られた。

  前唄が入った。 

 

 

  

 

   末尾の大文字に素早く反応して、

   どよめきと喝采が

   交錯した。

 

 

    古都の徒然 朝ドラ受けで・・(笑)

 

 

   一昨日の朝ドラの急展開・・(-_-;)に唖然!

 

 

  あれはないよね、との華丸・大吉の声が視聴者の

  本音ですよね。

 

 

  ドラマ的には当然ですが、

  少し、インパクトがきつかったかも知れませんが・・

 

 

  この手の手段は連ドラの常道で、すんんり行かない

  筋立ては

  その後の和解へと進むと

  万事、

  目出度し、目出だしとなるので・・(笑)。

 

 

  来週からの展開にはジョーが冬の海へ入る

  シーンが

  泣かせ場のヒークになるはずです。

 

 

  それにしても

  わたしも嫌悪感を抱かせたのはジョーの

       るいさんへの呼び方で、

 

       おまえ!

      を使ったことです。

 

    あれは無いでしょう・・・と

  

 

  悲劇的に盛り上げるための心にもない冷たい

  言葉が

  必要だったのでしょうが、少し刺激が強すぎます。

 

 

  こんなところで

  自分を引き出すのも気が退けますが

  わたしは子供の頃から、人を呼ぶときに おまえ

  は遣ったことは有りせん。

 

 

  また同時に、

  誰からも、言われたこともありません。

 

 

  ついでにあだ名も

  まったくないのが良いことなのか、愛されてない

  為か・・

  辛いから考えないことにして・・(笑)

 

 

  でも、

  大学時代は下級生の時に先輩の代理で全学生協議会

  に出席し、

  一言と・・促され、数分挨拶したあと、席に着くと、

  会長が何を思ったか

  私のことを閣下と呼び、喝采を受けたもので、

  以来、しゃれで 

  会議の席上では閣下と呼ばれていたことが有ります。

 

 

  返事に困ったのも・・

  あちらの悪戯心からと思います。

 

 

  もっとも

  私が下級生だと知ったときの驚きは・・もう笑うしか

  有りませんでしたね。

 

  

  それが唯一つのあだ名かもと・・・

 

  

  両親も私のことをお前と呼んだことはないはずで・・  

  父は

  呼び捨てはあった気がしますが、

  抑々、

  父はわたしの名前を言わず、物事が済むので・・・

  (#^^#)。

  あまり必要がなかったのかも知れません。

 

 

  母は死ぬまで・・・ちゃんで

  人前でちゃんはやめてと言ったら、涙ぐみ・・

 

 

  あわてて謝りましたが

  溺愛過ぎて、・・ちゃんを辞めるのは親子の縁を

  切られるような感じがしたのかも・・

 

 

  あれには心底、参りました(__)。

 

 

  なので、

  わたしはもしかして、

  古都ちゃんと言われるのが一番好きかも・・(笑)。

 

  

  でも、

  今は京の鐘を執筆している時は秋山に

  なりきっているので、

  もしかして、せんせが一番かも・・・(お笑)

 

 

  そう言えば、

  先日、

  我が家の古い家を解体する職人からの電話で

  わたしのことを

  せんせと言う敬称で呼び出し、

  どうしたの

  と、尋ねると、なんとそこの事務員の若い女性の

  母が私の教え子だったとのことで

  いきなり敬称が変わり、

  もうぅぅぅ

 

  もう

  何十年前のことを・・・と

 

 

  で、

  朝ドラ受けは

  あれっ・・・(-。-)y-゜゜゜・。、