古都のブログ小説 京の鐘161 

 

 

スマホで連絡を取りあったが、雑踏の中で着信音が聞こえないのか、誰も受話器に出ない。

 

 

 

 仕方なく,秋山と志乃が手分けして電話をかけ続けて、何とか他の子達との連絡がつき、30分遅れで、一度、勢ぞろいした所で、解散することにした。

 

 

 

 秋山と志乃ら三人は一緒にT屋まで戻った。

 店内の臨時の詰め所で、秋山が21.54分のニュースに乗せる原稿を書き、手の空いている者に撮影済のテープ編集を任せた。

 

 

 

 時間はたっぷりあるが、それまで、待つことは無いので、明日の試験の為にも、今夜は早く帰宅するよう告げると、志乃は少し戸惑いの色を見せたが、穂香や奈菜に急かされると、何か言いたげな眼差しを残して、帰宅の途についた。

 

 

 

その夜のニュースは、白河社中のおわらの披露を中心に、祇園祭の宵宮で賑わう鉾町の様子が流れた。

 

 

 

その後、オンエアを見た三人が其々電話を掛けて来て、声を弾ませ、子どものように燥いでいた。

 

 

 

もう、二十歳になっている子もいるのに、

幼さの残る子らに誘われたか秋山も、つい口元が緩んでいた。  

 

 

 

志乃は一番、後からの電話で

「もう少し、うちはせんせと一緒にいてお話をしたかったのに・・」

 と、初めに小声で不満を漏らし、これを宥めると、今のニュースで、自分一人の舞姿が他の子より多く時間を取っているのが気になったらしく、明日はもっと、うちの出番を短くしてね、との志乃らしい戸惑いの思いが届き、秋山も返す言葉に窮した。

 

 

 

 確かに少し身びいきの気がしたが、これは編集した者の正直な思いが出た分けで、別に秋山の密かな思いを忖度したわけではなかったが、志乃が素直に喜ばれなかったのは分る気がした。

 

 

 

 面倒でも、今夜は止めて、明日、再編集を告げる事にした。

 

 

 

 M社のスタッフには丁寧な言葉で感謝の意を述べ、

「今夜はこれでひとまず解散としよう」

 と告げると、疲れた声で歓声を上げ、

「私たちは、これから、いつもの店へ繰り出しますが、次長はこれから・・」

 との誘いに軽く首を振り、

「この歳になると、夜の仕事が妙に疲れを覚えるようになってしまい、今夜はこれで休ませてもらうよ」

 秋山がそれらしい額を入れた小封筒を調整室のチーフに手渡した。

 

 

 

 いちおう、良いですよと答えたものの、直ぐに

「では、せっかくですから、有難く頂きます」

 大きな声で景気をつけ、封筒を握った手を派手につき上げた。

 

 

  古都の徒然 激務!

 

 

毎日々、この徒然を書き始めて、もう何年になるのか

分からないほど、長く、続いているのには

我ながら呆れます。

 

 

 

別に、

書かねばならない分けではありませんが、

小説なんかは何度も、

休んだり、書いたりしていますが、

この古都の徒然は不思議なことに、

何かに急かされるように、毎日、書いているので、

それも、

締め切り直前に書いているので、

ラスト何分の頃に入って来る情報で書きあらためることも

一度や、二度ではありません(一一")。

 

 

 

こうしたことは

私が報道に長く籍を置いていたからだとは

思うのですが、

あれでも、休みがあって、無いようなもので、

社会ネタとしては

事件・事故や、火事、地震、台風、水害とよくも、

まあ、次々と

記事ネタが涌いてくるものと、

何度、逃げだしたい気持ちになったことも数知れず・・・

それでも、

30年も続いたのには驚きですが・・

 

文化面は大好きで、

美術展などは望んで出かけたくらい好きでしたね。

政治は一番嫌いでした(一一")。

 

 

この間、激務の為か、

何度も入院生活をしていたので、

小説を書いていたのは、仕事の原稿を書かなくても良い

入院生活が多く、

一度は死と背中合わせの大病中にベッドで

遺書代わりに書いたものが、

例の某文学賞の候補作に上げられ

(-。-)y-゜゜゜

 

 

余程、

わたしは文学と縁の切れない体質か、運命があるの

かも知れませんが・・。

 

 

だけど、

あの日、あの時、以来、賞というものにご縁が

無くなったのは

何かしら因縁があるような気もしないでも有りません

(ー_ー)!!

 

 

これから

残された命が尽きるまで、こうした雑文や、

小説もどきを

書いて、

無駄に生きるのも一興かも知れませんね(笑)。