みなさん、こんばんは🌙


 最近の私はというと、相変わらず一人で

 モヤモヤとしてはひたすら紙に書き出し

 現実から目を背けて自分の世界へ。


 知らず知らずのうちに歪んだ思考になり

 時に道を外れることもありました。

 

 今日はふと思ったことを

 そのままブログにしてみたいと思います。

 



 私は、

 いつもどこか受け身で

 周りに認めてもらおうと必死。

 いつしか額に『良い子』って

 レッテル貼って歩いてた。



 ・良い子でいることで認めてもらえる

 ・従うことで愛される

 ・なんでもOKする都合のいい女

 →そんな私が可哀想

  (悲劇のヒロイン爆誕

 



 そんな私を一番に

 そう思い込んでたのは紛れもない

 自身だった。

 が、全部を選んでいた。




 でも本当に目の前の現実は

 そうであろうか。

 


 lazyな面があって

 素直で探究心があって

 経験を重ねて柔軟な脳みそ持って

 “自分の答え合わせ”するために

 相談しまくって、また悩んで  

 どんな時も必死に自分と向き合い

 自分なりの最善尽くしながら

 “その時”を生きていたのも、

 ではなかろうか。

  




 それに私の周りには幸い、

 “支えてくれている人間

 が必ずいた。

 そのことを、最近の私は忘れかけていた。

 



 ロマンチックな夢ばかりをみて

 “世界中の人を幸せにしたい”と願ったり

 出来ない理由ばかりを探す前に

 やることがあるのではなかろうか。





 それは、私を

 “支えてくれている人間

 への感謝だ。





 最近の私は、  

 大切な人のことを見失い

 自分のことばかり考え、生き急いでいた。


 



 Time is money.

 時間は有限だ。

  


 これは私がそうであるように、

 私の大切な人もまた、同様だ。

 


 私に寿命があるように、

 私の大切な人にも、寿命がある。



 それぞれの人生を歩んでいて

 その貴重な時間をいただいていたのだ。

 

 


 “おかげさまで、ここまで成長できました。

 もう、心配しないでください。”

 



 そんな立派なこと今は言えそうにないけど、




 “伝えられる時に伝える” 



 これが、いかに大事なことかと

 ひじきを煮ながらふと思ったのだった。

 




 あの時感じたぬくもりや不器用な優しさは

 ずっと私の中で生き続けるように感じた。


  


 私が私を愛することは


 私の大切な人を愛することにも


 繋がる気がする。

 






 拙い文章を

 最後まで読んでくれてもありがとう。

 今日もお疲れさま🪷✨