先月、PTA総会に出席しまして。
分かっていたけど、無駄な時間を過ごしました。
(でも、無駄ということが分かったので無駄ではありませんでしたけど)
あれ、いつまであのスタイルで続ける気なのでしょうね。
コロナ禍では、総会資料配布して各家庭にて目を通し、質問や異議のある人はメールで送る、ということをやっていたような?気がするのですが。
それでPTA会長とか、校長の挨拶まであって。
2人とも「こういう機会に保護者同士顔を合わせて」とかって言うんですけど。
保護者同士が顔を合わせるためにPTA総会やってるんですか?と思ってしまった。
だって、そこを強調して「総会の必要性」を訴えるような感じに言ってくるから。
しかも、ママ友ゼロのぼっち保護者の私としては、一体、誰と顔を合わせるの?状態(笑)
今住んでいるこの地域、転入転出の多い地域なので、私のようなぼっち保護者は割と多い印象です。
(子どもが小さい頃から、その土地に住んでいないとなかなか保護者同士の交流は生まれない。保護者同士が結びつきやすいのって、やっぱり保育園とか幼稚園とか、あるいは小学校低学年かな、と思うんですけど、どうなんでしょうね?)
校長だったか、PTA会長だったか、PTAはボランティアのようなもの、との発言もあって、「だったら完全にボランティアにしてくれよ」と思ってしまいました。
「やれる時にやれる人が」と言うのなら、自由参加型のボランティアにしたら良いのでは?と思いました。
「子どものため」とかっていちいち強調してくるのも建前くさくて気持ち悪いし、そもそもなんのためのPTAなのか、本当にそのPTAは有意義なのか、そこをもっと考えて欲しいし、私としては一番腑に落ちてないのは、
任意のはずのPTAに「入るか入らないか?」を一度も聞かれていないこと。
そもそも聞かれていないから、断る機会さえなく強制加入になってしまうんですよね。
そこは本当に改善してもらいたい。
(でも、入らないって言うと、PTA会費から出ているものが受け取れないとかって言われそう。PTA会費から各部活動のお金とかも出てるんですよね………でも考えたら帰宅部の子どもたちは会費払って部活動費の恩恵は受けてないってことになりますよね?PTA会費の使い道って、やっぱり精査したほうが良いのかも……総会に出たんだから質問すれば良かったなぁ。自分の思考の瞬発力のなさよ。ていうか断れないなら、もう「強制加入です」って言えと思う)
まあ、ほんとに文句なんて言い出したらキリがないのですけど(笑)
今回、校長先生の言うことにもなんだかなーと思ってしまって。
(こっちが本題です。前置き長)
なにがって。
「中学生なんだから、自立させてください」って言うんですよね。
要するに、校長先生はなにが言いたいかって。
最近の子どもは自立できていない。
それは、親のあんたらが、甘やかしてんじゃないですか?
親が子どもを甘やかしていたらいつまでたっても自立できませんよ?
自立させてくださいよ、と。
そういうことを遠回しに言ってんですよ。
上から目線で。
(他の人がどう感じたかは分かりませんけど、少なくとも私はそう感じました。)
それで、自立に必要なのは口を出すことじゃなくて見守ることだとか、そっと背中を押せだとか最もらしいこと言うんですけど。
いや、まあ確かに、そういう側面もないわけじゃないし、言いたいことは分かる気がしますけどね。
私が思う「自立」に必要なことは、「自分を知ること」だと思います。
自分を知って、依存先を増やすこと。
自分の困り事を自分で自覚して、その都度「助けて」が言えることです。
そして、自分の人生を自分のものとして主体的に生きる、自分で選択、決断ができること。
それに私が一番気に入らなかったのは「中学生なんだから」って言葉。
子どもはみんな違うのに「中学生」でくくるな、と思いました。
「中学生なんだから」ってなに?
そしたらこっちだって言いたくなりますよ、「校長先生なんだから、もっと勉強してくださいよ」って。
(絶対、言わないけど)
見守るとか背中を押すっていうことが間違ってるとは全く思わないけれど、それを保護者に上から目線で話されても……私はひねくれてるから素直に受け取れない。
っていうか、保護者に対して、校長先生ってどうしてああも上から目線なの(笑)
教育的だし、指導的。
保護者に対しても
まあ、今の時代、いろんな保護者がいて学校側も大変なのだろうし、一言言ってやりたいという気持ちになってしまうのかもしれませんけど。
だけど、たくさんの子どもたちをずっと見てるんでしょう?
それでなにも思わないのかなーとは思ってしまいます。
それで最近の子どもは自立できていないとか言うのはちょっとどうなのかなーと思います。
(今の子どもたちの過酷さを理解しているのかな?とも思うし。)
子どもって、大人が思うより子どもじゃないです。
けっこう冷静に大人を見てるし、だから理不尽な大人の言葉にはその場で従っても、「理不尽だ」と思ってる。
言葉にしないだけでたくさんのことを思ったり考えたりしてる。
それをどうやって子どもが言語化できるように導くか、が大人のやることじゃないのかな〜と私は思ってしまうのですけど。
(そのためには大人と子どもがいかに対等になれるか、ということもあるから大人は努力しなければいけない。)
まあでも、大人も余裕がないし、不寛容な社会の中でもまれてるし、そもそも今の大人の方が育った環境に問題があることも多い。
だから、今の子どもたちに対して嫉妬もあって「我慢」を押し付けたい大人が一部いることも事実だと思う。
日本人は我慢神話の国なので
もうそろそろ、みんなで気づいてもいいと思うのですけどね。
我慢の種類には二つあって。
(もっとあるかもしれないけど)
嫌なことを外から押し付けられる我慢と。
自分でやりたいこと(なりたい自分)のために頑張る時に発生する我慢。
後者は必要な我慢と思えるけど、前者はまったく不要な我慢と思ってしまいます。
(我慢してやらされて結果的に良かった、っていうことはあるにはあるんだけど…でもだからってその我慢が良かったかと言えば、そうは思えないんですよね)
って言ってみたけど、後者も危うい場合もありますよね。
身の丈に合わないことを望んでしまって、頑張って、挫折して折れちゃうこともあるから。
(折れたらケアして修復する、折れても治せるってことを実感、体験してもらいたいです、子どもには。)
まあだから、ごちゃごちゃ言ったけど、本当に「見守る」ってかなり幅広い支援をすることだと思っています。
あと、これは完全に余談になりますけど。
校長先生は男性だったのですが、校長先生はどれくらい子育てに関わりましたか?
とかも思ってしまった
経験していないからこその、寄り添いのなさ、上から目線、なのかな〜なんて。