ひそかに(?)続けている辻村深月まつり。
3作目「凍りのくじら」です。
(2作目の「子どもたちは夜と遊ぶ」について、読んだものの感想を述べていないのですけど)
これは。
前に読んだ2作品とは少し、様子が違ってますね。
いつも、辻村深月の小説は、割とハラハラドキドキの衝撃的なシーンから始まって、それでぐいっと首根っこつかまれるんですけど。(あくまでも私は、ね?)
だけどこれは。
少し違う感じ。
白く凍った海の中に沈んでいくくじらを見たことがあるだろうか。
っていう一文から始まり。
くじらが氷原に迷い込んで、挟まれて身動きが取れなくなって、呼吸が奪われて、静かに海に沈んでいく…っていう心がしめつけられるような話(テレビのニュース)が物語の始まりで。
「凍りのくじら」に関して、私はいつ首根っこつかまれたのかは分からない。
だけど、気づいたらもう頭の天辺まで浸かってましたね、辻村深月の海に。
主人公の理帆子(りほこ)は高校2年生。
父親の芦沢光はカメラマンで5年前に失踪してる。
そして母親の汐子は病気で入院中、2年と余命宣告されて、そしてもうすぐその2年が経とうとしている…。
普通に考えたら、理帆子の人生、高校2年生にしてすでにハードモード。
だけど…だから、なのか、理帆子はどこか冷めたように生きていて。
自分のことをSukoshi・Fuzai 少し・不在(スコシ・フザイ)って表現するんです。
これは、理帆子の心の中でひそかにしてる「遊び」なんですけど。
理帆子の父親は藤子・F・不二雄のファンで、その影響で理帆子はドラえもんが大好きなんです。
そう、あの、誰もが知ってる、あのドラえもん。
藤子・F・不二雄の遺した言葉で『ぼくにとっての「SF」は、サイエンス・フィクションではなくて、「少し不思議な物語」のSF(すこし・ふしぎ)なのです』っていうのがあるらしくて。
それに倣って、理帆子は自分の周りの誰かのことを心の中で「スコシ・ナントカ」に当てはめて遊んでるんです。
「Sukoshi・Fuan(少し・不安)」「Sukoshi・Fungai(少し・憤慨)」「Sukoshi・Free(少し・フリー)」「Sukoshi・Fukou(少し・不幸)」
これらは全部、理帆子が心の中で、友達や家族に対してつけたSF。
理帆子の心の中だけでそっと行われるひそかな遊びなんですよね。
理帆子は優秀な子なんですけど、少し冷めていて、周りの人間をちょっと馬鹿にしてる。
それはもう、読んでいて最初から感じる。
そして、ある程度、理帆子自身、自覚もしてるし。
そんな理帆子を私は若いな~って思いましたけど。
(高校2年生だからね、ある意味リアル、と思いました)
優秀な子にありがちな優越感というか。
それでいて、誰にも理解されないと思ってるからどこか孤独で。
そこに自覚があるから自分のことを「Sukoshi・Fuzai(少し・不在)」と表現する。
不在。
居場所がない、みたいな。
友達といても、自分をさらけだせない(さらけださない)、とか。
自分をうまく隠したり、ただ言わないことでなんとなくその場に合わせるとか。
だけど、友達のことは全部分かったような顔で少し馬鹿にしてる。
解説の瀬名秀明(って誰?←すごく失礼)はそれを「共感できない主人公」と言っていたけど。
確かにその通りですんなり共感はできないのかもしれない。
だけど、女性だったらどうだろう?共感はできなくても「あーなんとなく分かる」って思えるんじゃないか、と私は思いましたけど、どうでしょう。
そんな理帆子がある日、図書室で一学年上の別所あきらという少年と知り合って。
その少年には不思議と理帆子も心を開けるというか、他の人にはできない話が自然とできたりして。
その少年が何者なのか、っていうのは最後には分かりますけど。
うん、それもあんまり言わないでおきますけど。
少しづつ「あれ?」っていうのが蓄積されて、正体に近づいていきますから。
それは読みながら体感して欲しいところです。
理帆子は子供の頃に自分の名前の「りほこ」が書けなくて「りはこ」って書いたものが残ってるんですけど。
失踪した父親とのエピソードで。
「あんまりだなぁ、僕は理帆子の名前の中で『ほ』の字には取り分け思い入れがあるのに」っていう父親のセリフがあって。
途中、私はちょこちょこ泣かされたんですけどね。
最後の方に出てくる写真集のところ、そこはもう号泣。
たまらないですよ、ほんとに。
写真集のタイトルも、内容も。
私は泣かずには読めなかったです。
親が子供に一番最初にあげるギフトですよね、名前って。
ごめんなさい、小説とは関係ない、自分の話をしちゃうんだけど。
(すみません、ほんとにただの自分の話だから流してくれてかまわないです)
生まれてくる子供になんて名前をつけよう?って、お腹の中の子供の性別が分かった時から、たくさん考えて。
字とか響きとか苗字とのバランスとか、すごく考えて。
子供たちの名前、響きはね、割とすんなり意見が一致してすぐに決まったんだけど。
息子の時も、娘の時も選ぶ漢字で夫と私でぶつかって。
お互いに譲れなくてジャンケンで決めたんですけど(笑)←なんて親だ。
ここぞって時に私は弱いから、息子の時も、娘の時も私はジャンケンに負けちゃったんですよ。
息子の時はまあ夫が選んだ漢字でもすごく良かったから、負けたけどいいよって思えて、すんなり決まったんだけど、娘の時は私が負けたくせにすっっごくゴネて(笑)
来る日も来る日も、ゴネゴネゴネゴネ…(笑)
それで夫が観念して「(生まれてくる子は)女の子だからいいよ、ジャンケンは俺が勝ったけど、漢字は譲ってあげる」って言ってくれて、私が考えた字を採用してもらったんです。
娘の名前、すごくかわいいの。
(個人情報だから明かせないのが残念ですけど)
自分で言うのもなんだけど、めちゃくちゃかわいい名前をつけたと思うし、本人もこの間「けっこう気に入ってる」って言ってて。
すごく、嬉しかった。
私!私がつけたの、あなたの名前!って思って。
かわいい名前にしたかったの、かわいい名前を考えたの!って思って。
すみません、ほんとに何の話?になっちゃった(笑)
何の話?になっちゃったついでに私の大好きな歌。
たまに聴くと、うっかり泣くくらい好き(笑)
話を戻しましょうね(笑)
この小説のキーワードは。
海、くじら、光、かなって思う。
(うーん、名前、も入れたい…けど…)
家族とか、親子とか、友達とか…愛情の物語、だと思います。
人の心の不安定なものとか、形が見えないからこそ、戸惑ったり、疑ったり、推し量って間違えたりする人間の愚かしさと愛おしさ。
私、辻村深月の小説の好きなところは。
間違えるところかなって思う。
人間だから、間違えない人なんているわけがなくて。
間違えない人生なんてあるわけがなくて。
間違えるんだけど、その間違えるところも愛おしいよねって言ってる気がする。
人間てほんと馬鹿だよね、だけどその馬鹿さ加減がかわいいんだから仕方ないよね、みたいな。
人間に対する愛情が深い…気がします。
そして「家族」ってなんだろうねって、いつも言われる気がします。
「家族」って、血のつながりのことじゃないから。
むしろ血のつながりなんて、大した問題じゃないと思うし。
そういう愛情の物語かなって、思います。
そして忘れちゃいけないのがドラえもん。
ドラえもんを、要所要所で語ってくれます。
けっこう掘り下げて、語ってくれてますから。
ドラえもん好きにはたまらないのではないでしょうか。
(ごめんなさい、私はドラえもん好きってわけではないのですけども。それでもとても興味深く読みましたよ)
なんとなく。
夏の暑い日に読みたかったかも…と思ったりしました。
装丁も、良かったです。
あーーーこれじゃ見えないですよね、
下に本棚があって、猫がカーテンの下からのぞいてる絵なんですけど。
ふふふふ、写真を撮らずにすめばいいな、と思ったんだけど(めんどくさいから笑)、ちゃんと見てもらえないんじゃ意味がないな。
ってことで写真撮りました。
これ。
くじら、だけど月が見える。
夜の空に浮かぶくじら?
幻想的で素敵だと思います。
ところで、凍りのくじらを読んでから、自分に合うSFを探していて。
なんだろう、なんだろうって。
やっとみつけましたよ、私は「Sukoshi・Fukinshin(少し・不謹慎)」ですね(笑)