かつて、ママ友はいらないと思っていた私なのですが。


初めて、「ママ友」と呼べる人ができたとき、その時は相手の人がけっこうグイグイ来る人で(笑)


出会ったその日に「家どこですか?」「わぁ、近いですね、今度遊びに来てくださいよ」「連絡先、交換しましょう!」って言われて。


正直、その時はウッとなったんですよね(笑)


だって出会って初日。


私としては「個人的に連絡を取る」とか「家に遊びに行く」って、もう少し、もうちょっと距離を縮めてからかな、と思ったから。


まあでも後から聞いたら彼女にも事情はあったみたいで、なるほどな、と納得もしたのですけど。


それでですね、その後も、やっぱり「仲良くしてください!」って言われたママさんがいまして。


やっぱり連絡先を聞かれて、その時も断れずに連絡先を交換したり、家に遊びに行ったりなんてことになって、私自身、考えざるをえなくなって。


なんかね、ママ友って。


自分とその人、だけで親しくなった関係じゃないから。


すごく不思議なんですよね。

(なんか……言いたいこと分かりますか?)


それで、その頃に私自身、どうしたいのか?っていうことをすごく自分で考えて。

(まだ息子が2歳くらいの頃)


ママ友いらないって思ってたのに、「断れない自分」というものに対して、「NOと言えない日本人かよ」とも思ったり。


それで、例えばその連絡先を聞かれたときに断る自分、というのも想像してみたんですけど、それも、何度考えてもどうもしっくりこないんですよね。


はて?私は一体、どうしたいんだ?と考えて。


私は元々、自分が「断るのが苦手」なんだとずっと思っていたんですけど。


このママ友の件を経て、よくよく考えたら「断りたくない」ってことに思い至ったんです。


なんかね、私、すごく人間のこと、煩わしいと思うくせに、すごく人間が大好きで関わりたいんだ、ってことが分かったんですよね。


なるほど、私は「断るのが苦手」なんじゃなくて「断りたくない」だったんだ!って思ったら、とても納得できまして。


それ以来、基本的に悩むことなく誰でもウェルカムです(笑)


来る者拒まず。

(去るもの追わず、でもありますが)


初対面で先のママ友のようにグイグイ来る人ももちろんいましたけど、だけど、関係っていうのは、最初にウッとなっても、うまくつき合っていけるものだってことが、分かったんですよね。


相手に悪気があるわけでもなかったり。


まあ、悪気がなければ何してもいいのかって言ったらそれもまた違うんですけど、でもまあ私自身に関しては、元々許容範囲は広い、と自負してましたけど、ママ友という、共通点「母親」ってだけでのつながり、関係、を経験してから、より、許容範囲が広がった気がします。


なんていうかなぁ、人間関係の構築の仕方ってほんとに人それぞれで。


距離感とかも人それぞれ。


だからそれって相手によっておのずと受け方を変えればいい、というか。


私はこれ、勝手に自分で「チューニングする」って思ってるんですけど。


相手と対峙した時に、その人の気持ちのありかをどこかな、どのへんかな、って探って、自分の気持ちとうまくすり合わせる、というか。


これが、若い頃ってどうしても「自分がこうしたい」「自分はこう思う」っていう、「自分」が強くなっちゃってて、それで合う人と合わない人、っていう区分ができちゃってた、というだけだったんですよね、おそらく。


いや、今だってありますよ?合う人と合わない人っていうのは。


だけどね、大抵の人とはチューニングしてすり合わせられる気がしてるんです。


多分ね、距離感っていうのもほんとに大切で。


相手によってその距離感というのは変化するんですけど。


当たり前だけど、「自分だから」って一定じゃない。


「関係」っていうのは相手があって成立するものだから、あくまでもいつでも「自分と相手」なんですよね。


だからって、その人のことが好きとか嫌いとか、感情の問題は全く別で。


それがね、すごく面白いんです。


私、多分、人と関わることが大好きだったんですね(笑)


これを私に気づかせてくれたのは関わってきたママ友たちとの関係、かなぁ、って思ってます。


元々、自分は断るのが苦手で、人とうまくつき合えない、と思っていたんです。


だから、今いる以上に友達はいらない、だって現状に満足してるし、これ以上、関わりを持てないって勝手に決めていたんですけど、その方が間違いだったんだな、と。(私の場合、ね)


人づきあいが苦手なんじゃなくて、「自分」の感覚だけで誰かと関わろうとするから、距離感測るのが難しかっただけだったんだ、というか。


そのウッとなったことも、さらにその後、話が合わなかったり、こっちの気持ちを察してもらえなくて辛かった時期もあったのですが。


それもチューニングがうまくいかなかっただけで。


相手のことを見て、理解して、考えられるようになったら、うまく関われるようになりました。


あのね、おそらく私は感情を切り離せなかったからうまく関われなかったんだと思います。


感情って本当に厄介な時があって。


好きだからこうしたい、嫌いだから遠ざけたい、みたいな行動に連動してしまうだけじゃなくて、相手に求めたくなってしまうんですよね。


好きだからこうして欲しい、嫌いだからこうしないで欲しい、って。


だから、その感情をうまく切り離すことで、人との関わりの幅は私はぐっと広がった気がします。


いや、元々、人に対する好奇心が旺盛だったつもりなんですけど。


だけど、これ感情はまた別の話なので。


傷つかない、とか、どんな場面でも平気、みたいな鋼メンタルを手に入れたわけではないんです。


それは人間だから、傷つくし、慣れないことには緊張するし、人見知りはめちゃくちゃするんですけど。


なんか……「自分を知る」は、自分の武器をみつけられることでもあるかな、と思いますね、ほんとに。


たまたまね、私が人づきあいを考えるきっかけってママ友との関わり、だったんですけど。


なんか、全然、うまく言えませんでしたけど(笑)


私個人としては、ちゃんと言葉にして整理できた感じがしてます。



誰かと関わることって、自分を見つめ直すことだったりしますね。


だからやめられない、って思います。