2月13日、213という数字に因んだクルマとしては、W213現行メルセデスベンツEクラスであるが、今日はまたヒトヒネリ。


(日本車大図鑑より)


今話題のスポーツカー、フェアレディZのご先祖様である。


この次の代のフェアレディはSP310やSR311と呼ばれ、今でも旧車イベントなどで見かけるが、このフェアレデーとよばれていたSPL212,213は輸出専用だったこともあり、見かけない。


213に因んだクルマを探しているとき、SR311があるんだから、そのつながりで213もあるかと、日本車大図鑑をで探していたら、見つけた次第。


フェアレデーというのは当時の日本語表記がフェアレディではなくフェアレデーだったというのも、日本車大図鑑で知った。


日本車大図鑑にもフェアレデーの記載がある。


それにしても、日本車大図鑑は調べ物に便利だが、ついでに読み進めると止まらなくなる。

其々の解説とスペックが美しい写真とともに掲載されており、その数11社、千台以上にもなる。

年代的にも、自分が生きてきた時代と重なるところも多いので、様々なことを思い出しながらかつての愛車を読むのもまた楽しい。

さらに、このブログを書いている途中、この初代フェアレデーやそれ以前のダットサン・スポーツに関わった太田祐一氏のことを思い出して、古いSUPER CGという本を引っ張り出してみた。


このSUPER CGのvol.7(1990年)において、太田裕一氏に小林彰太郎氏がインタビューし記事にしている。


太田裕一氏は、戦前のオオタ自動車の創業者太田祐雄氏の長男で1936年に多摩川スピードウェイで開催された第一回全国自動車競争大会(若かりし日の本田宗一郎も自作のレースカーで参加して事故で空を飛んだ話は有名)で、自ら設計制作したオオタ号を操縦し3人の兄弟で出走。小型車クラスで1-2フィニッシュして、ダットサンに一泡吹かせた。


このSUPER CGの記事の中でも、多摩川スピードウェイのことをはじめ、戦後の活躍、かつてのライバルのダットサンの仕事をするようになった経緯なども書かれている。


その中で、昭和26年に当時日産宣伝課長だった片山豊氏が手がけた戦後初のダットサン・スポーツの設計を太田裕一氏が行って、その後太田氏は会社をアルファモータースと改名し日産の試作工場となり、フェアレディやセドリックなど多数のプロトタイプを制作したとある。


太田氏のこと、多摩川スピードウェイのことなどまだまだ書ききれないエピソードがあるが、また別の機会にご紹介したい。


と言うことで、213に因んだクルマからフェアレディZの源流を辿ると、戦前の多摩川スピードウェイのオオタレーサーに行き着いたというお話でした。


今日もお付き合いいただき、ありがとうございます。