1934年アンドレ・シトローエンはシトローエンとしては初のFWD車であるトラクシオン・アヴァンを世に送り出した。
(写真は昨年のF・B・Mにて)
しかし、それと同時に過大な設備投資による財政難のため、同年彼は自ら育て上げた会社を手放さざるをえなくなってしまった。
彼から経営を委ねられたのが、ミシュランである。
アンドレにしてみれば、苦渋の決断だったのであろう。彼は、その翌年1935年病床に伏し、トラクシオン・アヴァンの大成功を見ること無く、57歳で亡くなっている。
それでも、経営を委ねられたミシュラン家の当主、ピエール・ミシュランはアンドレの思想をしっかり受け継いだのであろう。シトローエンの名をしっかり残してくれたおかげで、それから80年近く経た今、私も2CVと共に楽しい生活を送っている。
(奥のDSは2CVをきっかけに知り合った友人のもの)
そして、この2CVのタイアも勿論、ミシュランである。
最近、あらためて、シトローエンの歴史を振り返りながら、この本を読み返してみた。
(二玄社刊、世界の自動車⑧シトローエン 大川 悠 編著)
そして、ビバくんにお礼を言ってみたくなった。
iPhoneからの投稿
(写真は昨年のF・B・Mにて)
しかし、それと同時に過大な設備投資による財政難のため、同年彼は自ら育て上げた会社を手放さざるをえなくなってしまった。
彼から経営を委ねられたのが、ミシュランである。
アンドレにしてみれば、苦渋の決断だったのであろう。彼は、その翌年1935年病床に伏し、トラクシオン・アヴァンの大成功を見ること無く、57歳で亡くなっている。
それでも、経営を委ねられたミシュラン家の当主、ピエール・ミシュランはアンドレの思想をしっかり受け継いだのであろう。シトローエンの名をしっかり残してくれたおかげで、それから80年近く経た今、私も2CVと共に楽しい生活を送っている。
(奥のDSは2CVをきっかけに知り合った友人のもの)
そして、この2CVのタイアも勿論、ミシュランである。
最近、あらためて、シトローエンの歴史を振り返りながら、この本を読み返してみた。
(二玄社刊、世界の自動車⑧シトローエン 大川 悠 編著)
そして、ビバくんにお礼を言ってみたくなった。
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