「控えめ性格」あだ、習近平氏の暴走止められず 

李克強前首相死去

 

 

李克強前首相

 2012年3月14日午後、北京の人民大会堂で、当時の温家宝首相が退任前の最後の記者会見を終えて会場を後にしようとしていた。記者団は温氏の後ろにいた李克強氏に気づき「一言お願いします」と声をかけた。 

 筆頭副首相だった李氏が温氏の後継者であることは周知の秘密だった。カメラが一斉に李氏に向けられた。

しかし李氏は何も言わず軽く会釈しただけで会場を退出した。 国内外の関心はすでに次期首相に移っており、李氏が何かを言えば大きく取り上げられたに違いないが、温氏の部下役に徹し、決して目立とうとしなかった。会場にいた識者には「控えめな人」という印象が残った。 のちにナンバー2として習近平政権を10年間支えた李氏だが、その控えめな性格があだとなり「習近平氏の権力集中と暴走を許した責任は大きい」と批判する中国問題専門家もいる。 

 

 習氏より2歳年下の李氏は事務能力が高く、共産党内の出世レースで早くから頭角を現していた。

37歳の若さで閣僚級の共青団第1書記となり、その4年後に開かれた1997年の第15回党大会で中央委員に選ばれた。一方、習氏は同じ党大会で格が下の中央委員候補にしかなれなかった。 2人の序列が逆転したのは2007年の北戴河会議だった。次期党総書記選びで、現職総書記の胡錦濤氏が李氏を推し、前総書記の江沢民氏は習氏を推して対立した末、習氏は総書記、李氏は首相という結論となった。

 性格の穏やかな李氏が期待されたのは、押しの強い習氏を牽制(けんせい)し、各派閥による集団指導体制を継続させ、高度経済成長を維持することだった。 政権発足後、2人の政策の方向性の違いは早くも露呈した。

 習氏はさまざまな党の組織を作り、李氏が率いる国務院(政府)から経済、金融、教育など各分野の主導権を奪っていった。しかし、李氏は抵抗するそぶりをほとんど見せなかった。 李氏の部下で国務院幹部を務めた人物は「うちのボスと総書記は、嫁と姑(しゅうとめ)の関係で言い返すことができない」と漏らしたことがある。

 

 李氏は国務院職員への退任あいさつで「人の行いを天は見ている」と語った。暴走する習氏への精いっぱいの抵抗だったのかもしれない