漁網の匠 未来編む 浜松の職人

さまざまな網が置かれた作業場。匠(たくみ)の技で、漁網を編む(左から)村上学さん、優介さん親子=浜松市北区の村上漁網店で

さまざまな網が置かれた作業場。匠(たくみ)の技で、漁網を編む

(左から)村上学さん、優介さん親子=浜松市北区の村上漁網店で

 

編み道具が入った道具箱

さまざまな長さがある自家製の編み道具。網の目の大きさによって使い分けている

自家製の道具を使って編む作業

編み目の大きさが異なる網を、客のニーズによって使い分ける

 海の恵みに感謝する7月17日の「海の日」は、漁業の振興を願う「漁師の日」でもある。

その生業に欠かせない「漁網」を手作りする職人親子が、浜松市北区細江町にいる。

 今や漁は貴重な存在で、用途に合わせた完全オーダーメードの漁網を求めて遠方から足を運ぶ人もいる。

「職人の技術は一度途切れたら終わり」と、親子で継承し守り続けている。

親子は、村上学さん(75)と長男の優介さん(46)。1940年創業の「村上漁網店」の三代目と四代目だ。

 創業当時から変わらず、全て手仕事で漁網を仕立てる。

基本はメッシュ生地を縫い合わせて成形するが、漁場の特性や使用者の体格、狙う魚種、捕獲方法に合わせ、形状や網の目の大きさを変える。「基礎ができるまで10年」と学さん。波のような一定のリズムで針を動かし、網を縫っていく。

 漁網職人はかつて全国各地にいた。機械生産の漁網の普及や後継者不足で減少し、学さんは「絶滅危惧種」と自称する。

破れた漁網が海に放置され、海洋プラスチックゴミの原因になることもしばしばだが、職人親子なら修理もお手の物。

 購入者には破れても捨てないよう伝え、繰り返し修繕に応じる。

新規の注文が入った時には、自ら漁場に出向き、水深や流れの速さなどを確かめ、成形の参考にする入念さに、信頼を寄せる客も多い。学さんは「泥くさいアナログ的な商売の方が、かえって生き残るチャンスはあるのかも」と話す。

 その技術は、生物を相手とする研究者からも重宝される。量産の網では対応しきれないからだ。

謎が多いウナギ研究の第一人者から深海調査のため「源平の合戦図に描かれるヒラヒラした細長い旗のような網」との注文が入り、長さ一キロの漁網を制作したこともある。

 研究者からは腕試しのような細かな注文が必ず付くといい、学さんは「既製品がないから、イメージをぶつけ合って作り上げていくのが面白い」と語る。

 優介さんは二十四歳から漁網作りに携わり、日々、父の仕事をそばで見ては、手を動かして技術を学んできた。

「以前は、付き合いの長いお客さんから『おやじいる?』とよく言われた」という優介さんだが「最近は『あんたが言うならそうしてくれ』って。慣れてくれたのかな」と笑う。

 優介さんは、工場や病院の建物を覆う防鳥ネットも手がける。

病院では、入院患者が窓の外を眺めた時に圧迫感を感じないよう網の色にも気を配る。「使う人の意見を聞きながら、完成まで試行錯誤する。うちの仕事は、大手ができないことをやること」と優介さん。職人技とともに心意気も脈々と受け継がれている。