資産隠しの重大スキャンダル スイスの過去と現在

  1986年、マルコス記念碑の前で政権崩壊を喜んで踊る農民たち。

長年独裁を敷いたマルコス大統領は、エドゥサ革命によりイメルダ夫人とともに倒された。

 長年にわたり、スイスは独裁者たちが秘密特権を享受する資産隠しの安全地帯だった。

2016年になってようやく不正取得資産の凍結・返還に関する法律が公布され、今やスイスは権力者たちの汚れた金と戦うリーダーだ。この記事では資産隠しの重大スキャンダルを振り返る。

 

 世界銀行の推計によると、発展途上国では毎年200億ドル(約2兆7千億円)から400億ドルが腐敗官僚の懐に消えている。

 世界有数のオフショアセンターであるスイスは、かつて不正資金の格好の隠し場所だった。

国のイメージを損なうことを危惧したスイス政府は、権力者による不正蓄財対策を1986年から段階的に導入している。

 現在、その種の資金の没収・返還、いわゆるアセット・リカバリーにおいて、スイスは主導的役割を果たしている。それでもなお、スイスの過去は幾度となく蒸し返され、拭い去られることはない。

 2022年初頭、国外メディアがハッシュタグ #SuisseSecretsをつけて金融機関大手クレディ・スイスのスキャンダルを報じた。

 内部告発者がドイツの新聞社スードドイチェ・ツァイトゥングに口座データを提供したのだ。

スイスに蓄財していた汚職政治家や独裁者、犯罪者らの名前が公になった。

 この記事では、過去の有名なスキャンダルを紹介し、資金返還をめぐるスイスの歴史を振り返る。

スイスに資金を秘匿していた独裁者、大統領、政治家などを以下に挙げるが、このリストはすべてを網羅しない。

 

ラファエル・レオニダス・トルヒーヨ、ドミニカ共和国の独裁者

 

米国駆逐艦ノーフォーク乗務員を閲兵するラファエル L.トルヒーヨ、1957年 

ハイレ・セラシエ、エチオピア皇帝

 

ハイレ・セラシエ、ジュネーブのホテルにて、1963年 

ムハンマド・レザー・パーレビ、ペルシャ、イラン国王

 

 戴冠式を終えたムハンマド・レザー・パーレビ国王とファラ王妃、1967年 

フェルディナンド・マルコス、フィリピン大統領

 

フェルディナンド・マルコスとイメルダ夫人、1985年 

ジャン・クロード・デュバリエ、ハイチ大統領

 

ハイチの後継大統領に指名されたジャン・クロード・デュバリエ、1971年 

ムッサ・トラオレ、マリ

 

アジスアベバで開催されたアフリカ統一機構(OAU)サミットに出席したムッサ・トラオレ、1985年 

ラウロ・サリナス、メキシコ元大統領の兄

 

ラウロ・サリナス、メキシコ元大統領カルロス・サリナスの兄、1994年メキシコシティで 

モブツ・セセ・セコ、ザイール(現コンゴ民主共和国)

 

スイス連邦閣僚ピエール・オベール(右)に迎えられたモブツ・セセ・セコ。1983年5月、ベルン 

サニ・アバチャ、ナイジェリア

 

シエラレオネを訪問中のサニ・アバチャ、1998年 

ブラディミロ・モンテシノス、フジモリ政権前ペルー情報局顧問

 

ブラディミロ・モンテシノスと随行する陸軍士官たち、リマ、1999年 

ヌルスルタン・ナザルバエフ、カザフスタン

 

ヌルスルタン・ナザルバエフ、2005年12月、アスタナにて 

ホスニ・ムバラク、エジプト

 

ホスニ・ムバラク(左)とリビアの国家元首ムアンマル・カダフィ、カイロ、2002年 

ローラン・バグボ、コートジボワール

 

 選挙イベントに臨むローラン・バグボ。アビジャン、コートジボワール、2010年 

グリナラ・カリモヴァ、ウズベキスタン

 

グリナラ・カリモヴァ、タシケントのイチャン・カラ・ホテルにて、ウズベキスタン 2012年 

ヴィクトル・ヤヌコビッチ、ウクライナ

 

ウクライナ大統領選挙に臨むヴィクトル・ヤヌコビッチ、クリミア半島、2010年 

ナジブ・ラザク、マレーシア首相

 

ランカウイ島でインタビューを受けるナジブ・ラザク、マレーシア、2018年