ある男性と会った時の印象を、その女性は帰りの飛行機のなかでこう記録した。

『小柄で、青白く、爬虫類のように冷たい男』

『その男は、自国に起きた事に屈辱を感じ、その偉大さを再建する事を決意している。』

 

ある男性とは、ロシアのプーチン大統領である。

 

偉大さの再建、ウクライナ侵攻の今ならうなずけるが、女性が書いたのは2000年。

約20年も前に大統領の抱える屈辱と野望を見抜いていたか?

 

高い洞察力の主は、女性初の米国務長官を務めて方である、マデレーン・オルブライトさんが亡くなった。84歳。

 

 1937年5月15日マリー・ヤナ・コルベロヴァ(: Marie Jana Korbelová)としてチェコスロバキアのプラハに誕生する。

出自としてはユダヤ系であるがカトリック教徒として育てられた。

 第二次世界大戦中はイギリスに避難していたためナチスによるホロコーストを免れたが祖父母3人を含む親戚多数がホロコーストで殺されている。戦後チェコスロバキアが共産化したため1950年にアメリカ合衆国に移住。

1959年にウェルズリー大学を卒業し、ジョンズ・ホプキンス大学を経てコロンビア大学で政治学修士および博士号を取得しロシア研究所にも在籍していた。

 1978年から1981年まで国家安全保障会議スタッフを務めた後ジョージタウン大学でソ連外交を教える。

この時の教え子に日本の河野太郎元外相や山本一太群馬県知事がいる。

 

 1993年国際連合大使に就任しブトロス・ブトロス=ガーリ事務総長と対立してガーリの進める国際連合改革を頓挫させ最終的に辞任に追い込むなど、冷酷な一面も併せ持つ。クリントン政権2期目の発足と共に国務長官に就任した。

 

 国務長官時代特筆する事績はユーゴスラビア連邦共和国におけるコソボ紛争においてナチスの民族浄化を身をもって経験してドイツだけでなく、ポグロムを行ったロシアやスラブ系国家に激しい憎しみを抱いており空爆に消極的な西側首脳をまとめユーゴスラビア空爆を行ったことが挙げられる。

 

 ミロシェヴィッチ大統領の失脚・コソボの自治権獲得も含め、一定の成果を挙げたとも言える。

他方1998年8月のナイロビで起きたアメリカ大使館爆破事件では駐ケニアアメリカ大使が大使館の警備を強化するように国務省に再三要請していたにも関わらず断られ事件の4ヶ月前にはオルブライトに直接申し入れをしたにも関わらず無視していた。

 

 これについて事件後国家安全保障会議のリチャード・クラークに「これ以上の大使館を失ったらどうする気だ」と詰め寄られたオルブライトは「(ケニアとタンザニアの)2つの大使館は無くなった訳では無い」と答えている。

2000年1月26日

 

 2000年10月に現職の閣僚として初の北朝鮮訪問に踏み切ったが、人権問題などの批判を抑制し、マスゲームを鑑賞して賞賛するといった融和的な姿勢はアメリカ国内で強い批判を浴びた。

 その後クリントン大統領自身の北朝鮮訪問も検討されていたが、オルブライトの北朝鮮訪問が失敗に終わったことに加え、2000年アメリカ合衆国大統領選挙で民主党(アル・ゴア副大統領)が敗北したことで頓挫した。

 

 このように、対ヨーロッパ以外については特筆すべき事績は皆無であった。これは元々ソ連・東欧専門家であるという本人の資質の問題に加え、当時のクリントン政権が内政重視政策を取ったためにそもそも手腕を振るう機会が少なかった事が大きいと思われる。

 

 2022年2月にロシアがウクライナを侵攻する前日にはウラジーミル・プーチン政権の姿勢を非難するなど、最晩年まで意見表明を続けた。

同年3月23日、がんのため死去。84歳没。