息子が楽しそうに話しかけて来ました。

 

息子 「…でね、しおりちゃんがさぁ!」

 

私 ( しおりちゃんって、誰よ?娘の友達のしおりちゃん?いや、そんなはずないし、

息子にそんなチャン付けして呼ぶ女子の友達なんていたの⁉いや、そんなキャラじゃないよね⁉)

 

最初の方の会話を聞き逃していた私は「しおりちゃん」が気になって話が耳に入らず、

 

私  「ちょっと待って、しおりちゃんって、誰?」

 

息子 「佐藤栞里だよ!」

 

あ~~、そういうことか。

 

私  「しおりちゃんって誰かと思ったよ、佐藤栞里って言ってくれないと、わからないよ。」

 

と言うと、

 

息子 「しおりちゃんって言ったら佐藤栞里ってわかるでしょ!!もう、いいーよ!」

 

と言ってぷりぷりして話すのをやめてしまいました。

(息子は「世界一受けたい授業」と「有吉の壁」を毎週録画して見ているのですが、

そういえば、両方とも佐藤栞里が出てるわ…。「世界一受けたい授業」のおかげで健康的な食材には詳しい中二の男子です)

 

もーー、息子は時々こういう事があるんだから…。

自分が伝えたいことをすぐにわかってもらえないとイライラして話すのをやめてしまいます。

これは、いかんなぁ。

 

 

人は誰かの話を聞いた時に無意識に自分の過去の体験や記憶を通して、

その人の話をイメージして理解しようとします。

でも、同じ体験をしたとしても、人それぞれの価値観や好み、信念などによって、

捉え方は人それぞれ違います。100人いたら100通りの捉え方がありますよね。

 

ちょっと想像してみてください。

 

「お土産にケーキをいただきました。

それはどんなケーキですか?

あなたはそれをいただいて、どう思いましたか?」

 

 

「モンブラン」←わたしはいつもモンブランを選んでしまう

「イチゴのショートケーキ」

「チーズケーキ」

「手作りのパウンドケーキ」

「ホールのバースデーケーキ」

 

「わぁ、うれしい~、最近ケーキ食べてなかったから、食べたかったんだ~!」

「う~ん、うれしいけど、コロナ太りを気にしてるし、これ以上甘い物は食べたくないんだけどなぁ」

 

あなたはどう思いましたか?

 

「ケーキをいただいた」

という言葉の捉え方でも千差万別ですよね。

人はそれぞれ自分の色の眼鏡をかけています。

他に自分と同じ色の眼鏡をかけている人はいません。

 

(↑先日食べたケーキ。ピスタチオとホワイトチョコのなんとか…ってやつ、

すごくおいしかった!あ、この時はモンブランじゃないものに挑戦してみた)

 

 

「自分と人は違う」

 

そんなの当たり前ですよね。

当たり前のことなんだけど、それを本当にわかっていますか?

 

親子だから、夫婦だから、長く一緒にいる人だから、

仲の良い友達だから…。身近な人にこそ「お互いに自分の色の眼鏡をかけている」ことを

忘れがちです。更には「赤く見えるはずでしょう!」「当然青でしょ、何であの人は青に見えないんだろう」と自分の色を押し付けてしまう事もあるかもしれません。

 

 

自分は自分の色の眼鏡をかけていて良いのだけど、相手も相手の色の眼鏡をかけているのを忘れないようにしましょう。

 

 

それでは、それを理解した上で、会話や気持ちのすれ違いを防ぐには、話を聞いて自分の頭に浮かんだイメージを自分の言葉で伝えて、確認すると良いです。

おうむ返しにするのではなくて、自分の言葉で、イメージが合っているかを確認します。

 

「しおりちゃんって、学校の友達なの?」

 

「ううん、佐藤栞里のことだよ!『有吉の壁』に出てるでしょ。」

 

こうスムーズに会話が成り立つには、まだ足りないものがあります。

 

 

それは「伝えようという気持ち」、「理解しようという気持ち」。

お互いの思いやりですね。

「この人は何を言いたいのかな」

「この人何をして欲しいのかな」

「この人はどんな色の眼鏡をかけているのかな」

 

会話で足りないものを埋めてくれるのは、「思いやり」なのです。

 

 

私も息子にもうちょっとやさしく聞き返してあげれば良かったなぁ。

そう言えば、しおりちゃんの話、なんだったんだろう?