神楽坂を登って行った更にその先、そこから一寸下ったところに「漱石山房記念館」がある。
新宿区が2年前、夏目漱石が暮らしていた場所に建てた。
漱石も、あの名無しの黒猫もここで亡くなっている。
漱石自身がこの下に葬り、後年、猫塚が建てられたのが右の写真。
渋谷の忠犬ハチ公のように猫の銅像だったらもっと有名になったかも。
本当に最後まで名前がなかったのかと尋ねたら、そうらしい。
何処かからやってきた黒猫は、奥さんは嫌がったが漱石が飼うことにしたという。
「吾輩は猫である」は漱石の処女作、これが好評だったことで漱石の運命をも変えた。
福猫のお陰で貧乏学者からベストセラー作家に転身、明治の文豪と言われるようになりお札にまでなった。
漱石の坊ちゃんは、物理学校を出て四国の中学校の先生になる。
現在は東京理科大になっているが、前身の物理学校の建物が残っている。
場所は、神楽坂の坂下。
漱石が住んでいた坂上は、物理学校の先生たちも住んでいて近所付き合いがあったらしい。
物理学校の生徒は、卒業後全国各地の中学校の数学や理科の先生になって行った。
新宿区立漱石山房記念館 館内の案内板のアイコンは→ではなく黒猫マーク
復元された書斎と晩年の漱石の心境だった「則天去私」と書かれた銅像