もう、予定通りのオリンピック開催は難しいと思う。
延期であれば朗報、中止なら最悪。
(延期の雰囲気でワンクッションおき、模索したが難しいので中止、延期でも追加費用が発生するし中止になればあてにしていた儲けはなくなる。)
都知事、組織委森会長、武藤事務総長、山下JOC会長は、栄えあるオリンピックをやらせてもらう立場、だから自分からは止めるなんて言えない。
一方、聖火は既に日本国内を走り回っている。
決定権のあるのは、IOCバッハ会長やトランプ大統領、そしてスポンサーのアメリカのテレビ局。
途中で止めるのが難しいのが戦争。
日露戦争は、新聞や国民は勝った勝ったと思っていたが、政府は、もう金がなくて戦争を続けられない、だからアメリカの仲介を頼ってロシアと講和した。
講和条件に不満だった民衆の先頭に立って小泉元首相のじいさんや加山雄三のひいじいさんが日比谷で暴れまくった。
その後のアメリカとの戦争は、上から下まで躁状態、天皇陛下が断を下すまで国民は音を上げなかった。
山田風太郎の「戦中派不戦日記」には、
8月15日 帝国ツイニ屈ス
しかし、前日の日記はものすごく長い。
その一部は、
アメリカが日本人を十万人殺せば、日本はアメリカ人を十万人殺す。
そうすれば日本は必ず勝つ。
そうであったら、たとえこの爆弾で百万人の日本人の首が宙天へ飛ぼうと、その百万の首はことごとく満足の死微笑を浮かべているであろう。
(中略)日本人はもう三年辛抱すればいいのだ。
もう三十六ヵ月、もう一千日ばかり殺し合いに耐えればいいのだ。
山田風太郎は東京医大の学生、学校が信州に疎開、そこで終戦を迎えている。
医者にならずにくノ一忍法帖を書いてベストセラー作家になった。
もう、40年ぐらい前の話、
私は軽井沢のプリンスホテルに泊まっていた。
ここには軽井沢72という6コース108ホールの大きなゴルフ場がある。
前夜、レストランではしゃいでいたグループがいた。
翌朝、うっすらと雪景色、
昨夜と打って変わってみな暗い顔、それでも黙々とグリーンに向かう準備をやっていた。
多分、何か月も前に日程をやりくりしてやってきた三組のサラリーマンのグループ、
最後に、一番年長と思しき人が若いのに赤のマジックペンを借りてこいと、
彼らはホテルから出て行った、その後どうなったかは知らない。
ゴルフ場がクローズになったのか、寒い中を赤く染めたボールを打ったのか?

