病院団地で思ったこと | 老$の徒然草

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もうじき80歳、ブログはボケ防止の頭の体操
This blog is essays in idleness by Oidoru and a trivia expert monologue.      

所沢から電車に乗って次に降りる駅は、池袋か新宿、急行なら40分もかからない。
途中の駅で降りることは殆どない。
この間、たまたま紫陽花を見に
各駅停車で5つ先の清瀬に出かけた。
清瀬市は、所沢の隣町、人口は8万人だから所沢の1/4、東京都と言っても農地が40%も占めている。



ここは、国立看護大学校、日本社会事業大学、明治薬科大学、労働衛生研究所、結核研究所などの教育研究機関が集積している。
そして、
清瀬市の一画に病院が15もあり、病院団地と呼ばれている。
複十字病院とか、そのものずばりの都立・東京病院とかキリスト教系の救世軍清瀬病院などある。
町の人に聞いたら、傷痍軍人の病院が東京病院になったらしい。
これらは、全て日本の近現代史の所産、死の病と言われた結核療養所、貧しい日本の医療に一役買いたいと本国から送られた資金で病院を作ったキリスト教、傷病兵の病院は、言うまでもない。



病院の中には、高齢者用の施設を併設しているところもある。
極めつけは、ラビアンローゼ(バラ色の人生)という名前の老人施設、そして上の写真あるようにスキー医院!!、ここはスポーツ用品店、スキーのチューンナップをやるお店らしい。


団塊世代の介護問題

自分のことは棚に上げて、私より一回り下の団塊世代の介護を考えた。
今、まだ団塊世代は元気だ、しかし15年とか20年後は、そうもいかない、そして何と言っても人数が多いから、これが大問題。
施設も金も、そして介護する人の絶対数が足らない。

清瀬の街をほっつき歩いて、日本には意外なところにストックがあると再認識した。
どの病院も敷地は広い、仮設の老人介護施設は簡単に建てられる。
(団塊世代は、仮設で我慢してもらはなきゃならない、鉄筋で作ったって後は不要になるのでしょうがない。)

フィリピンやインドネシアから日本の介護施設で働きたいと、国と個人の意思で日本にやって来るようになった。
しかし、言葉の壁で国家試験の合格率は3割に満たない。
日本人だって読めない、書けない褥瘡(ジョクソウ/床ずれ)なんて漢字を覚えさせるのはナンセンスだと言いながら、国家試験不合格を理由に本国に送り返している。
みな、日本で働いて家族を呼びたいと言っている、こういう人たちは愛情を持って迎えるべきではないか。
老人介護で必要なことは、日本語の能力よりハートとスキンシップ。

毎年20万人の移民を目指すと言う。
大半の人は反対、私も同感。
その理由の中に、〝今でも〟というのがある。
日本で介護の仕事をしたいと日本にやって来る人は、〝今でも〟の人達に入っていない。

昨日は、世界難民の日だった。
日本は、先進国として最低限の義務さえ果たしていない、役所は、難民申請の殆どを却下している。
だから、国際社会からは日本は難民に冷たい国と言われている。
その代わりに、湾岸戦争の時と同じように何処の国よりも金だけは拠出している。

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