仁科亜希子は美人だった | 老$の徒然草

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もうじき80歳、ブログはボケ防止の頭の体操
This blog is essays in idleness by Oidoru and a trivia expert monologue.      

$老$(オイドル)の徒然草所沢に高橋玄洋という脚本家がおられてとても有名な人らしい、私より10歳上の83才、まだまだ元気な爺さん。
市内に月1回この先生の話を聞く会がある。
たぶん、会員の殆どがおばさん達だと思うが、その50回目の記念に誰でも参加できる講演、映画、対談のイベントをこのおばさん達が企画した。
中央公民館で脚本高橋玄洋、主演仁科亜希子のテレビドラマ3作、40年前の映像と40年後の本人を間近で見てきた。
3度も死にそうな病気になり、還暦を迎えたのに凛として美しい。
彼女を見たくて、のこのこ出かけたかいがあった。
高橋玄洋先生の〝縁を大事に〟という話も良かった。、

高橋玄洋先生は、たまたま抽選で当たった新所沢の公団のテラスハウス住んだ。
好きで所沢に来たわけでもないのに、50年所沢で暮らしている。
配られた資料をそのまま書き写した。

①狭山丘陵の自然を守る運動
②皆成会「光の園」の建設運動
③富士見産婦人科被害者救済
④市民憲章の制定
⑤防衛医大入院のインネシア娘の医療費援助

残念ながら③ぐらいしか分からない。
①は、早稲田大学の所沢進出反対運動? 自身は、早稲田文学部日本文学、たまたまこのイベントに顔を出した現市長は後輩。
しかし、人間学部だか体育学部は出来て、卓球の愛ちゃんも在学した。
ここからスクールバスが大量の学生たちをピストン輸送している。
キャンパスは狭山湖の近くにあるが、この辺に住んでいる人は、誰も大学に行ったことはない。

航空公園の先に日大の芸術学部があるが、そこも陸の孤島だから誰も知らない。
こういう学校に通っていると、通うだけで消耗してしまうのか、駅周辺で学生たちが騒いでいたりたむろしているのを見たことがない。
大学が来るからと何がしかの期待があっただろうが、何も起こらなかった。
たぶん学生たちも所沢にさしたる思い出もないまま卒業してしまう。

②は、30年前(1980年)に当法人は設立された。
前年に養護学校が義務制化されたが、当時障害幼児の通園施設長であった初代施設長を中心に、特に障害の重いお子さんを持つ親御さんたちが、学校教育終了後の進路を市内に確保するため、当法人を設立した。以来、重度の知的障害や肢体不自由、また重症心身障害を持つ人たちが地域生活を安心して豊かに送れるよう通所施設や地域生活支援センター等の整備に努めてきた。

③は被害者が居たし、②は親たちの切なる願いがあった、こうしたことに黙っていられないと行動を起こしたのだろう。
自身の仕事と全く関係のない問題にかかわり、地域のためにいろいろ尽力されてきた。

宮崎 駿も所沢に住んで、トトロの森のような開発から山里を守る運動(トラスト運動)をやっている。

所沢市民憲章(昭和62年3月制定)
多数の市民からいろいろな意見が出され、そのまとめを高橋玄洋先生がやられた。
先生の原文がそのまま所沢市民憲章になった。

所沢市は武蔵野台地の自然に恵まれ
鎌倉街道の拠点として発達し
日本人が初めて大空にはばたいた
記念すべき街である
この歴史と環境の上に立ち
未来に向かってうるおいの文化都市をめざす

  人は市の誇りである
  こころのふれあいを求め友情の輪をひろげよう

  恵まれた自然はいのちの泉である
  みどりを守りやすらぎの街を創ろう

  こどもは市の宝である
  胸深く刻まれるふるさとを伝えよう

所沢市は市民のためにある
一人ひとりが自らまちづくりを進めよう

今日の会場は2年前に出来た中央公民館、隣は1階に図書館、2階に商工会議所がある高層マンション。
この図書館に、高橋玄洋氏が手がけたドラマ等の台本・映像・蔵書等が常設展示されている。
たまたまこんなブログを見つけた。

昔、まちがいなく見たドラマ
でも、よく覚えていないのですが
主題歌が、フランス語でとてもせつなくて
それと、東京のアパートの階段ですれ違う二人(寺尾と仁科)のシーンは覚えていた。
出演していた仁科明子(亜希子)さんが、ういういしく魅力的で、
恋心を覚えたのを覚えている。
そしてこのドラマにジョルジュ・ムスタキのシャンソンが使われていたことも。


私はテレビドラマを見ない、でもこの曲はよく覚えている、40年前のシャンソンだったんだ、とても懐かしい。

バラ色の人生
制作年 : 1974年
全話数 : 全13話
制 作 : 木下惠介プロダクション/TBS
プロデューサー : 飯島敏宏
ディレクター・監督 : 井下靖央、山田高道
原 作 : 木下惠介(企画)
脚 本 : 高橋玄洋

ジョルジュ・ムスタキは、今年5月に亡くなっていた。


 

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