丸の内今昔 | 老$の徒然草

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もうじき80歳、ブログはボケ防止の頭の体操
This blog is essays in idleness by Oidoru and a trivia expert monologue.      


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都心に行ったついでに丸の内のイルミネーションを見てきた。
丸ビルにはクリスマスツリーが設置され、丸の内の仲通の街路樹にはLEDが点灯していた。
六本木ケヤキ坂のイルミネーションは、青白いが、丸の内は真っ白。

ビルの1階はどこも高級ブランドショップ、
昔のオフィス街とは趣が随分違う。
そこから一寸離れた大手町の方がオフィス街らしい。
大手町のランドマークになる大ホールを備えた読売新社屋ビルが完成し、来春オープン。
その先は、今、三井不動産による再開発工事の真っ最中。

50年前、社会人になって、丸の内に通勤。
すぐ慣れたが、ラッシュアワーの電車に吃驚。
三菱地所のビルには、沢山のエレベーターガールが勤務していた。
会社があったビルは、出来立てホヤホヤの
当時は容積東洋一、今は、一番古いビル。
どのビルも9階建ての同じ高さ、入社して2年後、
東京海上ビル建て替え計画が発表、美観論争が起きたが高さ100mを目安に高層化が進んだ。
初任給19800円、給料は、25日の振込ではなく月末に現金支給。
すぐ廃止されたが、3月には休暇の買い上げがあった。
新入社員に配られた文具セットにそろばんがあって吃驚、そろばんで足し算だけは、自力でマスターしなければならない。
土曜日は、休みでなく、半日仕事、半ドンと言った。
社内連絡には、カーボン紙を使用してカーボンを転写した方を提出、契約書などは和文タイピストに依頼した。
国内の客先との通信手段は、手紙と電話と 海外支店とはテレックス。
オフィスの中に電話交換室があり、女子の更衣室を兼ねていた。
工場では、手回しのタイガー計算機と計算尺が活躍、まだコピー機はなく、機械図面は青焼き(リコーの青焼きとは違う)。
朝のお茶は、マイ茶碗で淹れてくれた。
女子社員は、みんなの茶碗を覚えていなければならなかった。

まだ、若い女子社員をOLと言わずBGと呼んでいた。
東京駅前の丸ビルだけは、洗面用のお湯が出た。

老$(オイドル)の徒然草右の写真は、旧都庁(現在の東京フォーラム)、都庁の食堂は安かったので時々利用した。
中庭にプレハブの建物、その中のすし屋が安く、カウンターで握り寿司が食べられた。
老$(オイドル)の徒然草2か月に一度、都庁の前の通りにいろんなタイプの風呂が並んで展示された。
都営住宅か東京都住宅供給公社の入居者の手続きに都庁を訪れる人向けの風呂の宣伝だった。
風呂場があっても風呂がなかったから、プラスチック製かサワラの風呂を買わなければならなかった。
そこは、三菱商事や三菱銀行本店もあったから、時々外国人が怪訝な顔で眺めていた。
当時の公営の賃貸住宅には、テレビのアンテナも付いていない。
公団の分譲住宅には共同アンテナが付いている、逆なら分かるが、それが大蔵省が決めた基準だった。

6畳一間の〇〇荘から出来たばかりの公団の団地に越した。
4階建ての屋上に、各戸のアンテナ用ポートがあり、そこにアンテナを取り付ける。
普通は電気屋さんに依頼するのだが、自分で取りつけた。
4階から屋上へは自分の頭で鉄製のハッチを持ち上げて懸垂して登る。
屋上は、土足厳禁、経費節減のためにアルミフォイルだった!!
下からは見えないが屋上には、アンテナが林立していた。

三菱地所は、丸の内の地味な大家だったが、最近ではビルの1階にブランドショップを入れたり、丸の内の再開発が一段落した今、海外の街づくりにも手を染めている。
たぶんその売り込みには、東京・丸の内の街並みがショールーム役を果たしているのだろう。

 
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