

東洋文庫は、広くアジア全域の歴史と文化に関する東洋学の専門図書館ならびに研究所。
約80年に及ぶ歴史を有するアジア最大の東洋学センターであり、国際的にも世界5指の1つに数えられている。
中国が世界各地に作っている孔子学院の仲間かと思ったがさに非ず、三菱財閥の岩崎弥太郎、弥之助に続く第三代目が設立した。だから現在もスポンサーは三菱系の会社。東洋学分野での日本最古・最大の研究図書館であり、世界5大東洋学研究図書館の一つである。
モリソン文庫という現在の価格で70億円の書籍、主に洋書を所蔵、この書棚が圧倒的、世界遺産になっている世界一美しいと言われるポルトガルのポルトの書店のよう。
館内にあるレストランは、三菱が岩手に作った小岩井農場の食材を使っている。
小岩井の「岩」は岩崎の岩。高校の修学旅行で小岩井農場に連れて行かれた。当時としては、株式会社による近代的な牧畜が行われていたからだろう。
ここでいろいろなイベントが開かれていて、丁度マリーアントワネット展をやっていた。
マリーアントワネットが観た殉教劇は細川ガラシャをヒロインにしたもの、細川ガラシャの壮絶な人生は日本のイエズス会からハプスブルグのウィーンに伝えられていたらしい。
後に自身もフランス革命でパリで断頭台の露に消えた。
細川ガラシャの辞世の句
散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ
彼女は、所謂隠れキリシタン、自分の運命を知って家来に命じて部屋の外から槍を刺させた。
ウィーンでジャポニスムが起きたのは、明治政府がはじめて正式に参加した1873年のウィーン万博、その後分離派のクリムトの時代に頂点に達する。
ヨーロッパが日本を知るきっかけに、マリーアントワネットと細川ガラシャの縁が少しは働いたかもしれない。
日本は、戦後になってクラシック音楽をやる人がこぞってウィーンを訪ねることになる。
マリーアントワネットは、クラヴサン(チェンバロ)を殊のほか愛したという。
彼女が観たであろう歌劇場は取り壊され、現在の国立歌劇場が完成したのが、1869年。
日本でもAKGのヘッドフォンが人気になり、ウィーンの老舗ピアノメーカー/ベーゼンドルファーはヤマハが買収、銀座のヤマハで1千万円で売っている。
click here⇒ウィーンは生活の質・世界一の都市