癌を抱えて結婚記念日に思うこと | 膵臓癌と涙と希望

膵臓癌と涙と希望

2016年10月
膵臓がん告知
ステージ1a
膵頭十二指腸切除術
2018年10月
膵尾部に新たな腫瘍確認
2018年12月
膵尾部脾臓摘出術
2019年10月
腹膜播種と局所再発
抗がん剤治療
2020年6月
腹膜播種の病変が増大
抗がん剤治療終了

1月23日は結婚記念日です

お父さんと私はお互い再婚です

式も披露宴もせずに
籍を入れるだけでしたが
今日で26年経ちました

1月23日になぜ籍を入れたかと言うと
1、2、3 ワンツースリー と 
どんどん上昇気流になるようにと
その時お父さんはそう言って
この日付の時に籍をいれました



長男と長女は私の連れ子
次男と三男は
お父さんと私の間に出来た子
なんですが

私がお父さんに最も感謝しているのは
お父さんが四人の子供達を
絶対に差別しないで
分け隔てなく育ててくれたことです


長男は
未だに親の手を手こずらせることを
しでかしますが
お父さんは忍耐強く
長男のことを見ています

長男もまた
育ての親であるお父さんにだけは
立てつきません


長女が高校3年の時妊娠して
「死んでも産む」と言うので
あやふやな彼氏を当てにせず

お父さんは自分の養子として
長女の望む通りに子供を産ませました

(今はその時の彼氏と長女は、ちゃんと籍を入れて後に二人の子供も産み、3人息子の母親となり立派な家庭を築いています)



私がお父さんとまだ恋愛中だった時
壮絶な離婚劇から
三年が経っていましたが
とても再婚するなど
思っていませんでした
 
ただ
お父さんの優しさと陽気さと
男らしさに惚れ込んで
たとえこの人と恋愛が終わっても
この人とはずっとずっと友達でいたい
と思っていました

そんな気持ちは
自分の胸の内に秘めていましたが
そんな私にある日お父さんは

「急ごう」

と告げました


それはプロポーズでした

お父さんにすっかりなついた
長男と長女のためでもあったのでしょう


前の夫からはDVも受けていて
借金と浮気と暴力の三拍子

バブルで世の中が繁栄しているころ
私には食べるものもなく
子供に食べさせるものもなく
当時通っていた教会の牧師夫人から
時々差し入れを頂いたりして 
自死を考える日もありましたが
本当になんとか生き抜いた
という感じでした


そんな経験をしていたので
お父さんのプロポーズは
夢のように思えて
とっても嬉しかった





あれから26年経ちました

コロナ禍で
お店は夜早く閉まるので
お昼に豪華なランチを
考えていましたが

今朝から私の体調が優れず
強い倦怠感

最後の結婚記念日だというのに
パアッと派手なことをする
気持ちにもなれず
時々気軽に利用している
センターリバーでランチをすることに

ステーキ100gと
ハンバーグ100gのセット


しかし
ハンバーグ食べれなくて
お父さんに進呈





「記念日に何か買ってあげる」
って言うお父さんに
「もう本当になんにもいらないんだよ」
と説き伏せました



もしもコース料理や懐石料理で
お祝いしていたなら
バッチリお洒落もしないといけない
でも
腹水でお腹が大きくなってるし
モルヒネをぶら下げているし
化粧をする顔はステロイドのせいで
丸く浮腫んでしまっているし
おまけに
ものすごい倦怠感
テンションは下がっていました


昼食べたお肉がいけなかったのか
夜になってお腹は痛くなり

夕飯は頂き物の白菜で八宝菜を作り
小盛りにしてやっとで食べました

今日は階段を登るところがあって
杖は持っていたけど
体が重くて重くて
やっとのことで登りましたが
バスケをやっていた自分の体とは
到底思えません



お父さんを支えて晩年を生きることが
出来なくなったこと
申し訳ないと思う 

26年しか

お父さんと寄り添えなかった

子供のことより孫のことより

お父さんのことの方が心配な私

26年の結婚生活を振り返り

感謝と悔しさと寂しさを

今夜は噛みしめています