そろそろ「カイジ人生逆転ゲーム」について語ろうかなと。 | だからオイラはダメなんだ。

大ヒット上映中の「カイジ 人生逆転ゲーム」ですが、


先日、2回目の観賞をしてまいりました。



映画「カイジ 人生逆転ゲーム」公式サイト




前回は軽い感想でしたが、公開から日数も経過していることですし、


今回はちょっと語ろうかな、と。




※ネタバレ要素を多分に含んでいます。ご注意ください。




●原作と違うという批評について


映画評論サイト、ブログ、2ちゃんねるなどでよく見かける批評に、

「原作とかけ離れている」という批評をよく見かけます。


しかし、「カイジ」という漫画をそのまま実写ドラマにした場合、実は判りにくいドラマになってしまうのではないかと思います。


「カイジ」の面白さは、勝利を構築するロジック、騙し騙されの心理戦やトリックにあると思うのですが、

漫画ならば、読み手のペースで理解したり、考えながら読むことができます。

ロジックやトリックに難解で判らない部分が出てきても、前ページへ戻って確認することが出来ます。


しかし、これが映画となると、理解できなかった部分が出てきても、前へ戻って確認するということが出来ません。

鑑賞者は、理解できないまま物語の成り行きを見なければなりません。これではつまらない。

特に、限定ジャンケンやEカードなどはロジックや心理戦が顕著な為、出来る限りシンプルで判り易くする必要があったのだと思います。



●カイジと遠藤のやり取り


映画開始からわずか15分でエスポワールへ乗ることになる、超展開。


ここでまず注目なのが、『遠藤が女性(天海祐希)』という点です。

これが、遠藤役が原作通りに”見たまんまヤクザな男”であったなら、どうでしょう。

いくらエスポワール乗船が”旨い話”とは言え、初対面の怪しい男の話を信用するでしょうか?

原作では、遠藤さんは、家族への恐喝、ギャンブルが開催される論理的な理由、カイジの自堕落な生活からの脱却を説得、そして電話のトリックを使用して、カイジをエスポワールへ送り込むことに成功しました。


ここで、遠藤が女性であることが大きな意味を示します。

映画の遠藤は、淡々と借金の説明から一転して、「どこのガキなんだよテメーは!」と、恫喝、そして説教から、「ほらほら泣かないの」と、懐柔に出ます。

そして、カイジにエスポワール乗船を決意させることに成功します。

遠藤が女性であったが為、カイジに心の隙を作ることが出来た、そこにつけ込んだのではないでしょうか。



●限定ジャンケン


原作と大きく異なるのが、前半の「限定ジャンケン」です。


制限時間は30分(原作は4時間)、軍資金の貸付が無い、星の売買を帝愛が行う…原作と異なる部分が多数あり、前述した「原作と違う」という批評に繋がっています。


しかし実は、帝愛が限定ジャンケンを行う目的が、原作と映画では違うと考えればどうでしょうか。


原作では、「負債者の数を減らし、かわりに一人頭の借金の額をあげる」「債務が膨らんでしまった者は囲う」と、遠藤さんが説明しています。

もちろん、これが詭弁である可能性はありますが、納得できる理由です。

原作の帝愛は、金を回収することが第一なのです。


一方、映画はどうかというと、映画の冒頭、利根川が「(地下王国建設の)労働力はいくらでもいる」と語っています。

つまり、限定ジャンケンは地下王国建設の為の労働力を確保するのが目的だと考えられます。


制限時間を30分とすることで、落伍者を増やすことが出来るでしょうし、終盤に場が混乱に陥り、黒服が「今回も大勢落ちる」みたいなこと言ってましたから、これも想定の範囲内なのでしょう。


また、掛け声が「チェック セット オープン」から「ジャン ケン ポン」とちょっと間抜けな掛け声になっていたのも、前述した「原作未読の人への判りやすさ」を求めた措置だと思います。



●地下労働施設


映画で描かれた地下の世界は、漫画以上のリアリティを生んでいました。


過酷な労働、作業後の行進、粗末な食事、原作よりも狭い雑魚寝部屋…


そして、初給料で豪遊するカイジ、あのシーンは良かったですね。

原作では「犯罪的だっ…!」だったのが、映画では「悪魔的だっ…!」になってましたね。

この後の豪遊してしまうシーン、原作では、カイジと班長のやりとりだけですが、映画では馬鹿騒ぎする連中の映像などが入ったり、藤原竜也の笑顔も相まって、カイジが誘惑に抗えない性格の描写がよく出ていたと思います。


また、原作と大きく違うのが、地下の住人として、佐原(松山ケンイチ)が既にいるというところです。


最初この情報が流れたときは、「どうなってんの?」と思ったものですが、地下から出る為に「鉄骨渡り」へ挑戦させられるという、映画のストーリー上の措置だったのでしょうが、原作では「風穴を開けたい」と、自らの意思で鉄骨渡りに挑む佐原に比べ、映画では生き残る為に残された唯一の手段として挑まざるを得ない佐原となっており、「馬鹿ばっかりだ!」と苦悩する佐原に説得力があったと思います。

佐原が何故地下にいたのかの描写はありませんが、そこを補完していろいろ想像するのも面白いと思います。


そして、「ブレイブメンロード」への挑戦を表明したカイジ。

原作では、借金返済の為に挑戦せざるを得なかったカイジに対し、

映画では、「お前らに道を示す」として、希望の為に挑むという演出は、この映画の見所の一つで、

私はこの映画版のこのシーンが好きです。



●鉄骨渡り「ブレイブメンロード」


福本!かっこ良すぎ!


ほぼ原作に近い演出でしたが、CGとは言え、高さから来る恐怖の表現は実写ならではの迫力です。

電流の激しさ、また、原作と違い、雨が降ってくるのも、緊迫感を出していました。


疑問なのが、利根川の「(挑戦しない人間は)もう地下へ戻れると思うな」というセリフです。

地下へ戻れないのなら、地上へ生還できるのか…?と思いましたが、帝愛のことですから、確保の後、家畜以下の扱い、人体実験の材料とかでしょうね…。


石田さんとカイジの会話も原作で知っているのに、感動します。

原作の名シーン「57億の孤独」などはありませんが、これも映画の時間などを考えると仕方が無いことかもしれません。


原作には描写がありませんでしたが、観戦しているVIPを映画では見られます。

挑戦者の落下に最初は驚いていたVIPが、次第に歓声を上げる描写は、ひょっとしたら、現在の原作の「和也プロデュース」で和也が語っていた「偽善の壁」の設定に生かされているのかも?


にしても、利根川のセリフ…「世間はお前らのお母さんではない」…「母親」でいいじゃん。



●利根川とのEカード対決


映画後半時間のほとんどを占めるだけあって、見応えありました。


原作と違い、 3回勝負 奴隷・皇帝側の交代が無い 奴隷側の勝利は10倍払い(原作は5倍) というルールですが、これも「原作未読の人への判りやすさ」を考慮した変更と思われます。


漫画ではちょっと判り難かった、すり替えモドキのトリックの解説がとても判り易かったです。


利根川が「蛇めっ…!」と発していないのに、カイジが「俺が蛇に見えたか…?」と言うシーンがオカシイと思うのですが、よく見ると「蛇めっ…!」と言っている時は、口がフレームに入っていないんですよね。

無理矢理こじつければ、その時に口に出していると考えることもできますが、ここも脳内補完するのが良いんじゃないでしょうか。



●決着~エンディング


まず、Eカード対決が地下王国の労働施設に中継されていたことですが、おそらく「ブレイブメンロード」から中継されていたのだと考えています。

「ブレイブメンロード」を中継することで、地下の労働者たちに『あれに挑戦して死ぬぐらいなら、地下労働の方がまだマシ』と思わせる、という帝愛の思惑があるのではないでしょうか。

「Eカード」の中継も異例とはいえ、『帝愛に勝つことは出来ない』と思わせるつもりがあったのではないでしょうか。

オチが、「破戒録」と同じとは思いませんでしたが、これも遠藤が女性であることで、原作のような後味の悪さより、寧ろ爽やかさすら感じさせてくれたと思います。


また、原作では触れていなかった、カイジが石田さんの借金に対する責任を果たそうとする所も、映画ならではです。


ちなみに、その時出てきたパチンコ屋はここ らしいです。





「原作と違う」ことを不満に思う方は見なくともいいと思いますが、

原作大好きで色々と 妄想 想像して楽しめる方は、見て損の無い映画だと思います。