もうじき、

51歳の誕生日がやってきます。

 

1994年「この世の果て」で

俳優デビューしました。

 

 

当時、周りから今さら俳優を目指しても

もう遅いぞと言われ続けていましたが、

連続ドラマの大きな役の

ビックオーディションのチャンスがやってきて、

俳優の道をつかみ取りました。

 

それは、

25歳の誕生日の翌日のこと。

 

まだ事務所に所属していなかった僕は

番組プロデューサーさんから

直接連絡をもらいました。

今でもずっと忘れない「ことば」です。

 

おめでとう!

お前でいくことに今日決まったよ。

ごめんな。

誕生日の日に報告してやれなくて。

 

24歳の僕は知り合いの建設会社で、

鳶職の手伝いのアルバイトを

1年ほどしていた時でした。

 

1日1万円、3食付き。

本当にありがたかったです。

 

週3、4回だけ働いて、

後の時間は、不安を打ち消すため、

本来自分が向かうべき「夢」のことに

時間を作り、そこに力を使ってました。

 

当時のアパートが

家賃が5万円だったこともあり、

バイトしたお金で生活費以外はほぼ、

映画か音楽に費やしてました。

 

レンタルビデオをたくさん借りて、

好きな俳優の演技を

何度も巻き戻して見ては研究して、

 

あと、好きな音楽。特に洋楽。

CD屋に行くのが唯一の楽しみで、

心の癒しでした。

 

お前のよさは心があることだ。

シンガソングライターになれ!

という当時の事務所の社長の一言から

歌うという道が作られ、

 

1996年「夏の午後」で

歌手デビューしました。

 

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若気の至り。

実力もないのにこだわりだけが強く(笑)

周りにたくさん迷惑をかけました。

 

1999年連ドラ「ハッピー」の主題歌、

初プロデュース、作詞作曲、アレンジの

「まほろばの丘で」を最後に、

 

芝居と音楽の両立を一度やめて、

芝居一本の道に絞りました。

 

その時、事務所の社長に、

これからは自分の力だけで

音楽活動を自由にしなさい。

オレがそれを許す。

 

その心強い言葉があって、

僕は今に至るまで

この音楽活動だけは、

自主企画として自由にライブを

してもいいことになったのです。

 

2011年3月。

俳優生命と人生を懸けて

7歳の息子を引き取ることを決断して、

 

連ドラのレギュラーはNG、舞台出演NG。

地方ロケが5日以上NG。

 

6年間こうして

大切な仕事を制限して、

なんとか育児と仕事の

両立を立ててきました。

 

いろんな意味で、

ホントに苦しかった。

いや、正確には、

にがかった。

 

俳優のチャンスは

たくさん失ったし、

代償もまだ大きいのかもしれませんが、

 

そのかわりに、

この道を選んだからこそ

得られた新しい経験もたくさんありました。

 

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今思えば、

なんと恐ろしいことを言ってたんだ

って思うんですが、

 

「地方ロケ5日は見てくれる人がいないので

無理です、本当にごめんなさい。」

 

「シーンの少ないこの役に変えてくれませんか?」

 

仕事するのに違うことに闘ってました。

当時担当してくれたマネージャーさん達、

本当にご配慮くださりありがとうございました。

 

現実、ここまでしないと、

俳優が子供を一人では

到底育てられませんでした。

 

こんな自分にでも、

今、できることはないか。

 

そして、見つけたもの。

それが2013年から始めた

ライフワークの1つ。

「ひとり弾き語り」です。

 

自分の歴史話しは

これくらいにして、

 

再び、燃える炎となります!

 

50歳の最後の企画。

これが真骨頂だとみなさんに

言っていただけるような時間を目指して、

ここにも最大のパワーを注ぎます!

 

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ギター1本90分ひとり弾き語り 

第19弾

「万年少年と愛の秘密基地」 

 

2020年2月7日(金) 

Open 19:00  Start 19:30〜 

四谷HoneyBurst

(市ヶ谷、四ツ谷駅から徒歩5分)

 

前売 3,500(自由席)

DX   6,500(万年少年マガジン6回分、特別指定席)

 

近日、ご案内しますね!

 

今の僕に会いに来てください!