分かってはおります。

ボブディランの話しよりこれですよね。

 

今日日曜日。主之和(すのわ)はテニスの試合に出ました。

ご心配くださった皆様本当にありがとうございました。

 

顧問の先生の判断で病み上がりなので試合のみ参加OK。

部活のみんなの試合の応援はやめて、

自宅でゆっくり休んでくださいとのことでした。

 

さて、時間は朝に巻き戻し、

今日もあれこれあって、朝出かける前には、

テニスシューズが学校に置いてあるなどと言い出すなど、

いつもながらに大変でした。

 

時間が間に合わないから、

自分自身との約束を守れてないから口うるさく言う。

それに対して当然のように子供は

「うるさい、やかましい」という。

 

親と書いたおやをいろんな感じにすると、

おやは、おとやの字に分けると

愛家(おや)とも変換できるし、

悪爺(おや)とも書ける。

 

クソジジイと言われようが悪態をつかれようが、

今自分のやるべきことはしっかりやって、ただ我慢だ。

 

僕はこういう時こそ、

一人の静かな時間を作って好きな時間を作って、

自分の描いている夢、希望を拡げることに時間を費やす。

 

例えばそれは、

自分の大好きなマーチンのアコースティックギター。

曲を作ったり触ったりすることもそう。

 

真面目なことを言えば、

頭の中に生まれて育てている無数のアイデアを

形にするため無心にノートに書いてまとめてみる。

自分が今、一番欲しいものは何かを常に考える。

 

よい映画から力をもらう。

よい本から知識をもらう。

 

こうして自分を癒したり調整したりしている。

こうすることがいろんな問題の一番の解決方法だと

どこかで自分がわかっているからだ。

 

問題から逃げているわけではない。その真逆だ。

自分のパワーが落ちれば、何もできなくなる。

ガソリンやオイルの燃料がなければ、

当然、車は走らなくなる。

 

ガソリン代が高騰したからと言って、

車を乗らないという選択肢をする。

それはそれで間違っていないとも思う。

 

ただ、車を持っているというのなら、

乗らなくても洗車して、掃除して、

車をキレイな状態にしておける「余裕」を

意識的に作らなくてはいけないと思う。

 

車を乗らずに外にただ出しておけば、

後はどんどん錆びていくだけだからだ。

 

僕は車の中にいる時間が好きだ。

小さい頃から車を乗ることに憧れてきた。

だから、自分の欲しい車を手に入れた。

 

だから僕は今その車を大切に乗って、

楽しく使いたいと思う。

 

どこに行こうか行き先や目的がない運転ほど

楽しくないものはない。

 

よく考えると、

 

育児とは何か?

 

クルマなんてと関係ない話しのように

思うかもしれませんが、

アクセル、ブレーキ。ハンドル操作。ガソリン。

道路状況。時間の余裕。景色。

 

すべては同じように思えた

そんな日曜日。