こんばんは 呆け爺です。
今日は太陽が出たり入ったりの一日でした。呆け爺さん太陽の出ている間だけ窓辺に座って日向ぼっこしていますと呆け爺のその姿に憐れみを感じたのか「昼から出かけますか。」の一言を頂戴します。
2014年度下半期と2015年度上半期に撮影した写真を2TBの外付けHDDに収めておりましたが最近動作しなくなりました。修理方法等を調べてみますと2TBですと7万円~10万円の修理代金が掛かるそうでしたが最近の調査では160GB~6TBまで一律3万9千円と言う業者さんがあることが判明しました。この事を陽のあたる窓辺で思案していましたので婆様の瞳には可哀想な呆け爺に見えたのだと思います。
その2015年度上半期に訪問した「山代街道」の写真が全て消えてしまったので再度訪問したくなり婆様にそのことを説明し午後から「山代街道」を少し歩いてみます。
県道30号(津和野街道)津田十王堂別れから山代街道(県道293号)が始まり、ここ浅原地区から県道2号に変わります。
丁度この左奥辺りが安芸境の関所があったようです。
山代街道 秋掛の「池ノ峠の一里塚跡」で、萩松本より弐拾四里、安芸境亀尾川より拾六丁で2番目の塚にあたるそうです。
残念ですが塚跡でした。
秋掛の街並みです。
県道2号分岐の道標です。
正面は、此方いわくに道
左面は、此方本郷道
右面は、凄く読みずらいのですが、此方ひろしま道と書かれております。
県道134号の農道別れに延長一、二七四米の木柱と中ノ川山一と書かれた木柱が見えますとここを左に入ります。
呆け爺さんの杖(アイアン)で下部を少し掘り起こして見ました。
なんとか中ノ川山一里まで見えるようになります。
轍の見えます方向にテクテクしてきます。
広葉樹の枯葉の絨毯です。
進む都度ガサガサッと音がして猪除けになりそうです。
山代街道「中ノ川山一里塚入口」標柱が見えます。ここを右に入ります。
若干の上りですが難なく上りきれます。
「中ノ川山一里塚」到着しました。一里塚の右面になります。
山口県の一里塚は広島県の一里塚と違い石組の一里塚です。
一里塚の正面になります。
一里塚の左面になります。
塚の松でしょうか枯れていますので不明です。
一里塚の左面になります。
一里塚の頂部になります。
山代街道をテクテク下って来ますと広く開放された場所に出ます。
引地峠処刑場跡です。
説明板では引地峠処刑場で28名の方が処刑されたそうです。
引地峠処刑場を後に山代街道を下ります。
太刀洗いの池跡だそうですが現在は水も枯れてただの窪地になっております。
太刀洗いの池跡を後に山代街道を下りますが、写真のような藪状態で進入を拒みます。
本郷まで山代街道を踏破したかったのですが前回同様ここで終わります。
釜ケ原地区の鎮守の神社、地図の表示を使用しました。
呆け爺参拝し、旅の無事を祈願します。
釜ケ原地区(間違っていましたら御免なさい)。
県道2号を戻ります。
帰り道の滑滝風の2滝が見えます。
滝下に下りたいのですが今日は、許可になりそうもありませんので諦めます。
こちらも木立の間からの撮影に成りました。
見れないよりは見れたからいいことにします。
山代街道「中ノ川山一里塚」再訪記を終わります。
今日も呆け爺ブログに訪問して頂きありがとうございます。
ではまた