こんばんは 呆け爺です。

明日の平和記念式典でも平和の鐘が鳴らされますが 広島市中央公園内には 1949年(昭和24年)の式典で鳴らされこの式典の1回のみ使われただけでこの鐘は使われなくなり それから20年以上忘れられていた 平和の鐘があります。

 

 

沿革
毎年8月6日の平和記念式典で平和の鐘が鳴らされるが、これは1947年(昭和22年)8月6日第1回広島平和祭で初めて行われた。広島市は当初梵鐘ではなく西洋風の振り鐘を考えており、この初代の平和の鐘は教会で鳴らされるような鐘だった。式典後この鐘は、現在の平和公園がある中島町の北端「慈仙寺鼻」(現在の平和の時計塔付近)に、高さ10mの「平和塔」に吊るされ、1948年(昭和23年)第2回式典でも鳴らされた。ただ、朝鮮戦争による金属需要増加により、1951年(昭和26年)3月盗難にあった。

 

2代目の平和の鐘は、1949年(昭和24年)広島平和記念都市建設法公布を記念し広島銅合金鋳造会が市に贈与、この年の式典は基町の旧西練兵場跡地である市民広場(現在の広島市中央公園内の旧広島市民球場地)で行われたためそこに設置し、同年の式典で鳴らされた。翌1950年(昭和25年)朝鮮戦争の余波で式典は中止、その後式典は整備中の平和公園内で行われるようになったため、1回のみ使われただけでこの鐘は使われなくなった。その後忘れられた存在となり、市も20年以上忘れていたほどである。

1951年、式典は再開されるが、平和の鐘は用いられなかった。

 

1952年(昭和27年)平和式典で平和の鐘が再開され、この際には中広町(現西区)の「光元寺」にあった鐘が用いられた。これが3代目の平和の鐘にあたる。式典の日である8月6日はどの寺院でも法要が行われていたためどこからも鐘を貸してもらえず、寺の檀家の市役所職員が頼みこんだ末での借り受けだった。この鐘は1963年(昭和38年)まで使われた。なお、光元寺は火災により焼失したが、鐘は寺宝となって現存する。

 

1964年(昭和39年)から1966年(昭和41年)までの式典での鐘、つまり4代目は元宇品町(現南区)「臨済宗観音寺」の半鐘を借り受けて用いられた。

 

現在使われている平和の鐘は、1967年(昭和42年)建立の5代目にあたる。
(出典:ウィキペディアフリー百科事典) 

 

 

2代目の平和の鐘には、平和の象徴である鳩や、「No more Hiroshimas」の英文、広島市章(三本の波)が刻まれているそうです。

 

 

原爆の日に鳴らす「平和の鐘」として、1949年の平和祭で1度だけ使われた鐘をたたえる合唱曲「鐘よ、平和の鐘よ」が完成したそうです。

2代目の鐘を顕彰している市民有志の実行委員会が6日9時半から現地で開く祈念式で初めて歌を披露。犠牲者を追悼し世界平和を祈るそうです。

 

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