保守アップ。 | グッドフィッシングおおつき(大月釣具店)のブログ

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2012年7月に引っ越ししました。
画像を使いまくるブログですので、
引っ越しは定期的にせざるを得ないと思います。

ご了承の程m(u_u)m

こんばんわ~(^-^)/




前回のアップから1カ月以上経ちました。



今年初めての保守アップですー。






本家ブログ。


今日アップは総合カタログ、明後日以降に書くのは、またワカサギブログでしょう。









時事ネタ雑談書く感じでもないので、こっちでちょっと。









例のフランスの新聞がどうした、って話。








あれの実際の、掲載された絵。見ましたでしょうか。


あんなん、


「風刺じゃなくて侮辱、もしくは中傷、悪口の類」が、まず第一の感想で、結局それに尽きます。





もちろん、銃を乱射して人を殺すことを肯定出来はしませんが、


「やって良いことをやっていたのに殺された可愛そうな被害者」


なんて風には、全く見ることが出来ません。







どうしても譲れなかったり、傷つけてほしくない対象ってものはあるもので、宗教絡みは、多数の人間にとっての「それ」であるのは、想像することが難しいわけではないでしょう。


そこを日常的にえぐり続けて来たと。そういう新聞社だったのではないかと。






そして、こういう事態になると、「表現の自由が~」と言い出す。


日本の新聞社が、この言葉を持ち出す時も同様な流れになることが多いです。


この場合、「表現の自由」ではなく、「他者を傷つけても反撃されない特権」と言い換えた方が腑に落ちるというものです。







やくざの事務所に石を投げ、とっつかまって、半殺しにされた、殺された。


もちろん、人を殺したやくざは責められる。


でも、「私達にはやくざの事務所に石を投げいれる自由があるのだ」


なんて言い出す人間がいたなら、


「それはちょっと違う」

「なんで石投げた?」

「相手がキレると思わなかったのか?」


と言いたくなる。










この場合、相手はやくざではなく宗教だし、石を投げた、ではなく、風刺画(というより中傷画像)の掲載だけど。


「こっちは手を出してないのに、殺されるなんて」


が、どこまで共感を得られるか、そこのラインっていうのは、非常に難しいものです。










日本の原発事故を揶揄するような風刺画(というより中傷画像)も、何回も掲載してたそうですが。


今回の話でいうと、日本人の場合、天皇への侮辱を、ひたすら掲載し続けていたと仮定するとイメージしやすいかもしれない。









「表現の自由」をテレビや新聞社が叫ぶ時、ものすごく良くある、実に人間的な現象が「ダブルスタンダード」というやつで。


イスラム教徒にとって譲れないものは、平気で踏みにじるけど、ユダヤ人にとっての「それ」は、触る事すら、「疑念を提起」することすら許されない、それこそ「表現の自由」も言論の自由も、思想の自由も何も無い。


「ナチス絶対悪」「ホロコースト」。ここに、ほんの少しでも疑念を持つようなそぶりをしたら、欧米社会では袋たたきで大変なことになる。


まさに「譲れない、傷つけられたくない」って所なのに、イスラム教徒のそれとは、扱い方は全く違う。


「ユダヤ関係に対しては、表現の自由?何それ美味しいの?」って集団が、こぞって、今回の件では「表現の自由がー」って言ってると。








日本でも比較的最近、「アイヌ利権」に対して発言した議員が、あっという間に袋たたきにされ、議員辞職を勧告されました。


あの議員を全力で叩いた集団は、別の所では「表現の自由は大切」って言ってると思います。










また、これって、ある「既視感」があるのですが、「いじめっこの物言い」とも、まる被りします。


いじめられっこを自殺するほど追い込んでおきながら、


「俺たちじゃれ合ってただけだから~」と言う。






「風刺画で表現の自由だから」


ってのは、いつも強い方が言う言葉。









とても難しく、とても人間的で、過去も未来も、こういう話は続くのだろうと思うけど。


でも、あんまり、見聞きしたくない。


そういうネタですなぁ。











おわりですーm(..)m。