こんばんわ~(^-^)/
前回のアップから1カ月以上経ちました。
今年初めての保守アップですー。
本家ブログ。
今日アップは総合カタログ、明後日以降に書くのは、またワカサギブログでしょう。
時事ネタ雑談書く感じでもないので、こっちでちょっと。
例のフランスの新聞がどうした、って話。
あれの実際の、掲載された絵。見ましたでしょうか。
あんなん、
「風刺じゃなくて侮辱、もしくは中傷、悪口の類」が、まず第一の感想で、結局それに尽きます。
もちろん、銃を乱射して人を殺すことを肯定出来はしませんが、
「やって良いことをやっていたのに殺された可愛そうな被害者」
なんて風には、全く見ることが出来ません。
どうしても譲れなかったり、傷つけてほしくない対象ってものはあるもので、宗教絡みは、多数の人間にとっての「それ」であるのは、想像することが難しいわけではないでしょう。
そこを日常的にえぐり続けて来たと。そういう新聞社だったのではないかと。
そして、こういう事態になると、「表現の自由が~」と言い出す。
日本の新聞社が、この言葉を持ち出す時も同様な流れになることが多いです。
この場合、「表現の自由」ではなく、「他者を傷つけても反撃されない特権」と言い換えた方が腑に落ちるというものです。
やくざの事務所に石を投げ、とっつかまって、半殺しにされた、殺された。
もちろん、人を殺したやくざは責められる。
でも、「私達にはやくざの事務所に石を投げいれる自由があるのだ」
なんて言い出す人間がいたなら、
「それはちょっと違う」
「なんで石投げた?」
「相手がキレると思わなかったのか?」
と言いたくなる。
この場合、相手はやくざではなく宗教だし、石を投げた、ではなく、風刺画(というより中傷画像)の掲載だけど。
「こっちは手を出してないのに、殺されるなんて」
が、どこまで共感を得られるか、そこのラインっていうのは、非常に難しいものです。
日本の原発事故を揶揄するような風刺画(というより中傷画像)も、何回も掲載してたそうですが。
今回の話でいうと、日本人の場合、天皇への侮辱を、ひたすら掲載し続けていたと仮定するとイメージしやすいかもしれない。
「表現の自由」をテレビや新聞社が叫ぶ時、ものすごく良くある、実に人間的な現象が「ダブルスタンダード」というやつで。
イスラム教徒にとって譲れないものは、平気で踏みにじるけど、ユダヤ人にとっての「それ」は、触る事すら、「疑念を提起」することすら許されない、それこそ「表現の自由」も言論の自由も、思想の自由も何も無い。
「ナチス絶対悪」「ホロコースト」。ここに、ほんの少しでも疑念を持つようなそぶりをしたら、欧米社会では袋たたきで大変なことになる。
まさに「譲れない、傷つけられたくない」って所なのに、イスラム教徒のそれとは、扱い方は全く違う。
「ユダヤ関係に対しては、表現の自由?何それ美味しいの?」って集団が、こぞって、今回の件では「表現の自由がー」って言ってると。
日本でも比較的最近、「アイヌ利権」に対して発言した議員が、あっという間に袋たたきにされ、議員辞職を勧告されました。
あの議員を全力で叩いた集団は、別の所では「表現の自由は大切」って言ってると思います。
また、これって、ある「既視感」があるのですが、「いじめっこの物言い」とも、まる被りします。
いじめられっこを自殺するほど追い込んでおきながら、
「俺たちじゃれ合ってただけだから~」と言う。
「風刺画で表現の自由だから」
ってのは、いつも強い方が言う言葉。
とても難しく、とても人間的で、過去も未来も、こういう話は続くのだろうと思うけど。
でも、あんまり、見聞きしたくない。
そういうネタですなぁ。
おわりですーm(..)m。