引退 | 滑るあきおの生活

引退

今回で滑るあきおの生活を更新するのは最後になります。

みなさんご存知かと思いますが私、太田明生は今年2月の網走市市民大会を最後にスピードスケート競技を引退しました。

五輪メダル獲得、ソチ五輪出場という目標は達成できませんでしたが、
2010年バンクーバー五輪出場という夢を果たす事ができ、幸せなスケート人生でありました。

なにより、素晴らしい仲間、ライバル、指導者、スタッフ、応援してくれた方々、たくさんの出会いに恵まれた事は、私の人生において本当に幸運な事で、大きな財産です。
もしスケートをやっていなければ、全く違う人生、人格になっていた事と思います。

こんな私とスポンサー契約を結んでくださった、
北海道旅客鉄道株式会社様、札幌駅総合開発株式会社様、医療法人社団美久会様、ホクレン農業組合連合会様、おおさかスポーツ様には感謝してもしきれない思いです。

網走時代の高橋団長、杉田コーチ、佐藤コーチ、池田高校の野村先生、後藤先生、明治大学の鈴木監督と本当に素晴らしい指導者に恵まれました。

トレーニングパートナーとして迎え入れてくれた、びっくりドンキーチームの菱沼コーチ、及川選手、今野選手には社会人スケーターとして多くの事を教わりました。

赤ん坊のようにたくさんの人に支えられて、29歳まで滑り続ける事が出来ました。
本当にありがとうございました。


よく、引退会見で、一片の悔いもありません。というスポーツ選手を目にしますが、
私は悔しさが7割くらいです。
なぜあのときもっと練習しなかったのか? なぜあの時もっと落ち着いて滑れなかったのか?
思い返せば切りがありません。
表彰式のファンファーレを頭上で聞きながら地下通路をくぐる時の気持ちは、一生忘れる事は無いでしょう。
しかし、それも含めて悩み苦しみながら試行錯誤した日々は、実はとても楽しいもので、毎日スケートリンクに行くことが楽しみで、スケートを職業としている事に誇りを持っていました。

現在現役の選手には、やめた時に後悔が少しでも少なくなるような過ごし方、決断をしてほしいと、老婆心ながら思っています。


これからは、難しい事ですが第二の人生がスケート人生よりも素晴らしいものになるように、
また微力ながら少しでもスケートに恩返しできるように、日々精進していきたいと思っています。

長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。


またお会いしましょう