お久しぶりの更新ですアセアセ

 

はぁ~、風の時代?

いろんな事があり過ぎるダッシュ

 

 

 

ミキで繋がるオンラインセミナー2022 の

オプショナルツアーで、念願の奄美大島に行って

ちょっくら仕事も兼ねて、熱海に行って

そして、先月納骨した母のお墓参りと

父の施設に会いに行こうと思っていた日の朝

 

「父の施設から呼び出しの電話があった」と

妹から電話がありました

 

 

最近、食欲がなかったり

酸素濃度や検査データの値も良くない・・・と

時々連絡があり、心配はしていたのですが

 

「いよいよ・・・」と言う気持ちと

心のどこかで「まだ・・・」という気持ち

どっちもあったように思います

 

 

慌てる事もなく、顔を洗って(妹は顔を洗ってなかったってタラー

K斗に車を飛ばしてもらい

早朝だったこともあり、いつもの半分の時間で到着

 

「お姉ちゃん来たよ!」と妹が声をかけると

私を見てくれたものの、言葉はなし

 

でも、しっかり私の顔を見てくれました

 

 

呼吸も、決して苦しそうには見えなかったけど

明らかに普通とは違う

 

手を握って声をかけるも、握り返してはくれない

 

 

それでも、一生懸命に声を掛けました

 

手をさすり、足をさすり、顔を撫でて・・・

 

 

今まで言えなかった「ありがとう」をたくさん言って

 

最期は「おつかれさま」と言って

 

静かに見送ることが出来ました虹

 

 

 

コロナになってから、面会も窓越しで

このまま触れることも出来ずに別れるのかと心配しましたが

きちんとお部屋に通していただき

肌に触れて、手を握って看取ることが出来たので満足です

 

 

 

 

父は、努力の人でした

 

恵まれない家庭環境の中

働きながら夜学の大学を出て、苦労をしたようです

 

そのせいか、口数が少なく不器用ながらも

家族旅行に連れて行ってくれたり、

プールに連れて行ってくれたり(スパルタだったけど・・・)

家族サービスしてくれていました

 

キャッチボールやランニングの相手だけでなく

子供の宿題も全力投球爆  笑

特に、絵の宿題を頼むと必ず入選してしまい

「困ったよね~」と、妹と語り合いました

 

 

小学2年生の時、母が入院してしまい

伯母の家から、電車で学校に通っていたのですが

いつも父が、出勤前にオヤツを用意してくれていて

ある日は、冷蔵庫にタッパーに入ったかっぱえびせんが・・・

冷えたかっぱえびせんの味、今でも思い出します

 

学校が終わると一度家に帰り

そのオヤツを食べ、友達と遊んだ後

夕方、兄と一緒に電車に乗って伯母の家に帰るのですが

途中でお腹が空いてしまうので

押し入れの上に方にあった、父が小銭を貯めていた瓶から

コッソリお金を盗んで買い食いして・・・

それがバレて、こっぴどく怒られたことも思い出します

 

でも、焼きそばパン、美味しかったなぁ~ラブラブ

 

 

「ケチ」で「見栄っ張り」なところがあり

子供のころはイヤに思ったりもしてましたが

そのお陰で、私達3人の子供たちは

私立の大学に行かせてもらえました

 

有難いことです

 

感謝です

 

 

父に似てしまったところがあり

反発した時期も長かったけど

結婚・出産を機に、少しづつ父との距離が近づき

ダンナさんや子供たちにも感謝です

 

コロナの前は、施設に会いに行くと

家にいる時より、いっぱい喋って(私が一方的に)

いっぱい笑ったね

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…と言っても、父は笑顔が苦手

 

「笑って~」と言うと、いつも真顔で歯だけ見せてたアセアセ

 

 

親族にも連絡せず、密葬という形をとらせていただいたお陰で

ゆっくり、じっくり、お別れが出来たと思います

 

 

テニスや太極拳、社交ダンスを楽しんでいた父

何故か急に、赤いバラが頭に浮かび

葬儀には似つかわしくないけど

赤いバラを手紙に添えて、お別れしました

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ちゃんと母は迎えに来てくれたかなぁ~虹