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脱出の日 由来
脱出の日の由来は①⑧①⑤年②月②⑥日ナポレオンが流刑先のエルバ島を脱出したことに由来します。
意外とまじめな歴史の話に由来していて、正直びっくりですね。『 余の辞書に不可能の文字はな~い 』でおなじみのフランスの皇帝、ナポレオン。
いち軍人から立身出世を繰り返し、ついにフランスの皇帝にまでなってしまった稀代の英雄です。その晩年が脱出の日と関係してきます。ナポレオンは皇帝として各地に戦争をふっかけていった結果、イギリス、ロシア、ドイツなどの連合軍に袋叩きにあってしまい、皇帝の座を追われることとなりました。そして島流しの刑にあうことに。その流刑地として選ばれたのがイタリアの中ほどにあるエルバ島。①⑧①④年のことでした。
しかし転んでもただでは起きないのがナポレオン。ナポレオンがいなくなった後のフランスの混乱を聞きつけるや否やエルバ島を脱出してしまいました。そして華麗にパリに舞い戻ったのです。それが①⑧①⑤年②月②⑥日。
これに由来して②月②⑥日は脱出の日いう訳です。
ナポレオンの豆知識
脱出の日••• その後⁉️
②月②⑥日にエルバ島を脱出して皇帝の座に返り咲いたナポレオンですが、その後はどうなったかといいますと••• 再び連合軍にフルボッコにされ、皇帝の座を追われアフリカのかなたのセントヘレナ島に流されてしまいました。
脱出に成功してから再び皇帝の座を追われるまでが①⓪⓪日に満たないことから『 ナポレオンの100日天下 』といわれています。無事脱出できたからと言ってハッピーかというと必ずしもそうでもなかったですね。
本当にこの日記念日でいいんだろうか・・・
ナポレオンと愉快なマスコミ
またナポレオンがエルバ島を脱出してからの新聞の見出しが次のようなものだったそうで
・怪物流刑地を脱出( ②/②⑥ )
・コルシカの狼カンヌに上陸( ③/① )
・王位簒奪者グルノーブルを占領( ③/⑦ )
・悪辣皇帝リヨンに。
• 恐怖のため市民の抵抗はなし( ③/①⓪ )
・ボナパルト北方へ進撃。
• 速度増すもパリ入城は不可能か( ③/①⑦ )
・ナポレオン氏明朝パリへ( ③/①⑨ )
・皇帝陛下パリへ帰還。皇帝万歳( ③/②⓪)
どんどん好意的な表現になっていくのが笑いを誘います。
怪物→コルシカの狼→王位簒奪者→悪辣皇帝
→ボナパルト(呼び捨て)→ナポレオン氏
→皇帝陛下
ひと月弱の間にここまで手のひらを返せたものです。諸説あるネタではありますが当時の雰囲気が伝わってきてなんだかほっこりしますね。
ナポレオン名言の真相‼️
最初にナポレオンを紹介するとき『 余の辞書に不可能の文字はない 』という言葉を引用しましたが、実はこれ前置きがあるんだそうです。それが『 不可能は小心者の幻影であり、権力者の無能の証であり、卑怯者の避難所である。 』というもの。なにやらかっこよさげですね。不可能とは自分が作り出すもの。できないと嘆く前にできるようになる方法を考えようってことでしょうか。余の辞書に~だけ聞くとずいぶん傲慢な感じを受けますが、この前置きが入ることでいろんな『 不可能 』を乗り越えてきたナポレオンの意志の強さを感じる言葉になりますね。
脱出の日 まとめ
・②月末②⑥日は脱出の日‼️
・由来はナポレオンがエルバ島をこの日に脱出したから•••
・脱出できたからハッピーとは限らない
リサーチを始めた当初は
なにこれ⁉️の連続だった脱出の日。
ですが、調べれば調べるほどにナポレオンというキャラクターの魅力を発見することができました。エルバ島を脱出したことで、ナポレオン本人が幸せになったかというと決してそういうわけではありません。それでも記念日として祝われているのは、それだけナポレオンがみんなに愛されていたということだからではないでしょうか⁉️
多くの人に求められ、不可能を乗り越え続けてきた稀代の英雄、ナポレオン。②月②⑥日は不可能と戦い続けた不屈の男について思いを巡らすのもいいかもしれません。