今日は郵政記念日 | 夢のブラックバス捕獲隊

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郵政記念日 由来

 ②⓪①⑨年④月②⓪日が郵政記念日となります。

なぜ郵政記念日が4月20日になったのかという由来ですが、由来は1871年4月20日に日本における郵便制度が始まったことに由来します。

日本の最初の頃の郵便制度の整備に尽力した前島密(まえじまひそか)という人の名前なんかはご存知の方も多いのかと思います。前島密は明治維新の直後、イギリスに渡って郵便制度の実態を調査しました。今の「郵便」という言葉や「切手」という言葉を作ったのも前島密です。


ちなみに、郵政記念日はもともと別の名前で呼ばれており、「逓信記念日(ていしんきねんび)」と呼ばれていました。逓信という言葉の意味は、ご存じない人のために念のためご説明いたしますと、「郵便・電信などを順次に送り伝え、届ける事」ということで、意味合いとしては「郵便」に近しい意味になります。

逓信記念日 由来

郵政記念日のもともとの名前である逓信記念日は、1934年(昭和9年)に通信事業特別会計創設に伴う記念事業の一環として、逓信省によって制定されました。

ちなみに逓信省とは、かつての日本に存在した郵便や通信を管轄している中央官庁になります。

逓信記念日から郵政記念日へ

名前の変更は政治的流れによるものになります。

実は1949年(昭和24年)6月1日に逓信省がふたつに分かれるのです。それは郵政省と電気通信省の2省になります。そして逓信記念日は郵政省に引き継がれたことにより、逓信省が分裂した翌年、1950年(昭和25年)からは郵政記念日と名前が変わったのです。

日本の郵便の歴史

日本で最古の郵便は聖徳太子が随へ送った「日出処天子至書日没処天子無恙・・・(日出処の天子、書を日没する処の天子に致す)」という内容のものだと言われています。大化の改新のころには「伝馬(てんま)」といって馬を使って、手紙や物などを運びました。そして、馬を乗り継ぐための施設や、宿泊施設などが整備されました。 

鎌倉時代(1185年~1333年)になると、飛脚(ひきゃく)が武士の間で用いられるようになりました。飛脚とは、金銭や手紙、物品などを運ぶ仕事に従事する人のことで、現在なら歩くと2週間程度かかる東京~大阪間(約500km)を、飛脚は3日~4日で走ったといわれています。しかし、飛脚はひとりで走っていたわけではなく、宿場と呼ばれる場所まで走り、10km程度で交代していたそうです。江戸時代になると、幕府によって飛脚制度を整備され、手紙のやりとりは庶民の間でも頻繁に行われるようになりました。

庶民が利用するのが「町飛脚」大名が利用するのが「大名飛脚」幕府の文書を運ぶのが「継飛脚」と呼ばれていました。そして、明治時代になると日本の郵便が始まります。世界で近代郵便制度を作ったのは1840年のイギリスで、料金前納制を実現し世界最初の切手を発行しました。

日本でもイギリスの郵便制度を手本とし、明治4年に前島密によって近代郵便制度が創設されました。現在の郵便局に当たる郵便役所が東京、大阪、京都の3カ所に設置され、日本最初の郵便切手が発行されました。


 

「郵便」「切手」「葉書」などの名称を考えのも前島密だと言われています。前島密は日本の郵便制度の基礎を作った功績から「郵便制度の父」と呼ばれ、1円切手の肖像になっています。

郵便制度が始まり、現在の郵便ポストに当たる「郵便箱」が設置されたのですが、見慣れない郵便箱という字を見て当時の人々は「垂便箱(たれべんばこ)」と読み間違いし、公衆便所と勘違いしたというエピソードが残っています。当時の郵便箱は角柱型の黒塗りでした。後に丸型となり、現在のように赤色と定められたのは明治41年からです。 

郵便のシンボルマークである「〒」が生まれたのは明治20年です。由来は当時、郵便や通信を管轄する官庁であった逓信省(テイシンショウ)の頭の「テ」の字を図案化したものだそうです。ちなみに「〒」の読み方は「郵便記号」または「郵便マーク」です。郵便事業は平成19年に民営化され、現在に至ります。