どうも、タンクーテイセンキョウテイをどうしてもクータンテイセンキョウテイとよんでしまう大住です。

最近、まわりが話しているのを聴いていると日本語の乱れがすごく気になります。


例をあげるまでもなく、僕らが日常使っているすべてのことばはあまりにも汚い、または軽いなぁ、と感じるのです。



ことばなくして人間の認識や思考は形づくれないといいますが、いいかえればことばは人間の思考を反映するものと言えます。



汚い、軽いことば(自分のうけた印象を表すのに汚い、軽いとしか形容できない自分の語彙力にはあきれるばかりですが...)を使っているものはそれに対応した程度の思考でしかないことになります。
まぁ、一概にそうであるとはいえませんが。



このように感じる僕だから明治文語文にとりわけ魅力を感じるのです。



あなたに殴られる より あなたの殴るところとなる のほうがきれいじゃない?笑