パパという人は

その関係が
近ければ近いほど
「ありがとう」も
「ごめんなさい」も
素直に言えない人でした(笑)


その様子から
気持ちは避けて見える
こともありますが

照れたり
気まずい雰囲気になると
怒ったような
顔や振る舞いに
なってしまう人でした。

困ったものです(笑)



パパは

旅立つその時まで

それを貫き通しました。


特に、家族の前では

強気の姿勢は崩さず


最後まで

強い父であり

逞しい夫でいたかった

のだと思います。


きっと、辛い思いを

家族に残したくない


という強い意志があった

ような気がします。



それは

お兄さん、お父さんが

癌で闘病の末旅立たれた

その経験があったからなのだ

と、私は思っています。


それが、自分が癌になったら

手術も闘病もしない!

という意思表示に繋がった

のだと思っています。



パパが旅立つ時のこと


本当は、家族の中にだけ留め

お話しするのは控えようと

思っていました。


けれど…


次男とその時の話をした

10日ほど前に

私が気がついていなかった

話を聞かせてもらい

とても嬉しくなり


この部分だけは

皆様に聞いて頂きたい、と

そう思ったのです。


なので…お話しますね。




ホスピスに入院してからは

ほとんど眠ったままで

会話も出来なくなり…


ただ痛みや息苦しさも無く

穏やかに眠るパパの顔は

いつも穏やかでした。


(そんな中でも

看護師さんに支えられながら

トイレには最後まで

歩いて行っていたことには

驚かされましたが)


旅立ちの瞬間も

そんな安らかな眠りの先に

静かに訪れました。



耳は最後まで聞こえている

と、看護師さんに教えられて


私は

パパの耳元に顔を寄せて

ずっと話しかけていました。


息子たちは

それぞれ、手を握って

話しかけていました。



すると

眠っていたパパが

「あっ!あっ!」なのか

「はっ!はっ!」なのか

声を発してくれたのです


そして、静かに

旅立ちました。



私は、きっと

ありがとうと言ってくれたんだな

と、勝手に解釈していたのです。



その話をして


「いくら意地っ張りでもさ

最後くらいは「ありがとう」

の一言くらい

言って欲しかったよねぇ…

と、私が言うと


次男が教えてくれたんです


「え、何言ってるの?

親父「ありがとう」って

言ってたよ!俺、見たもん。

唇の動きでそう言ってるの

はっきり分かったよ!

あぁ、あなたは親父の耳元に

居たから見えなかったんだね」



もう…私…

泣きました


いつものお店に居たのに

人目もあったのに

泣きました



嬉しかった

本当に嬉しくて…


変な言い方ですが


もう満足!

もう思い残すことは無い!


そう思えたのです。



それだけを

皆様にお伝えしたくて…


これしか書けることが

今は頭に浮かばないのですが…


受け止めて頂けると

嬉しく思います。



こんな深夜に

しかも長文にて

失礼いたしました🙇‍♀️



皆様、おやすみなさい🌟