祭の命日に
買ってきたお花です。



祭は、パパのお隣に

今も寄り添っています。



パパの笑顔が

いつもより輝いて

見えました。



思えば

3年前の今頃も

台風🌪が来ていました。


一週間くらい開けて

2つ続けて



その台風の間に

祭は旅立ち

お葬式も無事に

終えることが

出来たのでした。




祭を病院で

看取った時のパパ


お葬式の会場に

向かう時のパパ


火葬が終わるのを

待っていた時のパパ



あの時の

パパの様子、表情、言葉


全てを思い出しました。



お話しすると

長くなってしまいます。




今、私が思うのは


祭の旅立ちが


あの時の

隠しようもない

パパのありのままの姿が



自分の寿命を生ききる

とはどういうことなのか


安心した旅立てるように

見送ってあげるとは

どういうことなのか



家族それぞれが感じ

考える大きな機会になった

ということです。




火葬を待っている時に

「…もう…いいな…」

と、小さな声で呟いたパパ


「どういう意味?」

私が問い詰めると


「そういう意味じゃないよ。

もうこういう悲しいお別れは

これで終わりにしたい、って

そういう意味だよ」


と、慌てて説明したけれど


そうではない意味も

あったのだと、私は

分かっていました。



きっと

祭を残して逝くなよ!

息子たちに言われていたし…


祭を見送るまでは!

頑張らねば!

という思いは

きっとあった、と

思うのです。




他にも…色々

お話したいことは

ありますが


またの機会に

させて頂きますね。




祭は…


寂しがり屋の

パパを心配して

先にお空に行って

待っていてくれたのかも

しれませんね。



なんとなく…


そんな気がします。



皆様、今日も一日

おつかれさまでした。



また明日。



おやすみなさい。