今日は(も?)、
子育ての話。
うちの子も、こんな私をめちゃくちゃに好いていてくれます。
「ママ」と意味もなく何度も繰り返し呼び、
「ママ、見てぇ〜。」と慕ってくれています。
子供の心を傷つけるような、
自尊心を傷つけるような、
そんな育児はやめようと、
専門家の先生方が書かれた書籍を数冊買い、
毎日、自責の念に駆られながら、
そして、良い意味でショックを受けながら読みふけっています。
子供に良かれと思ってやっていたつもりが、
実はそうでは無かった…と言うことばかり。
自立できる子にしようと、
子供に「ママやって。」と言われても、
「できるやろ?〇〇ちゃん、上手やん。」と、やれることは自分でやらせようとしたり。
子供が、本当は自分で出来るのに
ママにして欲しいと言っているのは、
甘えたい時。
そのくせ、
子供が何か危ないことをやろうとしたら、
「まだ小さいから、できひんよ。
お母さんがやったろ。」や、
「危ないからやめとき。」と、
子供に禁止したり。
子供に自分で決める力をつけて欲しいと、
「やっても良いし、やらんでも良いし。」と言う声がけをしたり。
決断力をつけさせようと、
子供に選択肢を与えていると思っていたのですが、実は「やるかやらないか」を選ばせていました。
外に行って恥をかかないように、
ご飯を行儀良く食べさせることばかりに
気を取られ、
楽しい食卓という本来の目的から外れたり。
お友達とのいざこざを禁止したり仲裁して、
子供がどうやって喧嘩して、
どうやって仲直りするのか経験することを
奪ったり、
遊びの一環で文字や数字を教えようと、
興味を示していないのに、
たくさんのドリルを買って与えたり。
いつか子供が学びたくなるまで
待てていない自分がいました。
とまぁ…
ちょっと箇条書きするだけで、
矛盾ばかり。
子供のことを理解しているつもりの、
口うるさい母親の典型。
大義名分を作って、子供の成長を「見守る」こと、子供が成長する力を信じることが全く出来ていなかったことに気がつきました。
失敗を経験させることをさせないのも、
親自身の私が、
煩わしさや、失望を経験したくないから。
子供に躾をしていた理由は、
子供の将来…ではなくて、
私が、他人や自分の親からどう思われるかを
気にしていたからに過ぎなかったんやなって。
正直、
子供の自尊心を傷つけない育児、
子供の成長を信じる育児は忍耐がいりました。
どんなに無謀な要求でも、
頭ごなしに押し付けられない。
子供のやってみたいを見守る。
子供の失敗を受け入れる。
長男は、長女が生まれてから我慢させていたことがたくさんありました。
また、
上記のように(これが子供の将来にとっていいんだ)と思い込んで育てて来ました。
育児の姿勢を変えた途端、
1週間もしない内に長男は大きく変わりました。
妹が使う赤ちゃん言葉を話すようになったり、
「自分はこうしたい!!」とテコでも譲らなくなり、欲求が急増しました。
我慢ができなくなりました。
お漏らしが増え、私を叩くようになりました。
いわゆる「退行」なんだと思います。
あー、こんなに我慢させていたんやなぁ…と改めて反省。
でも、
頭では分かっていても、
当然、戸惑いや葛藤、苛立ちも生まれてきます。
優しく受け止められそうにない時も。
そんな時、
読んでいた著書の先生の言葉に救われました。
「そんな時は、自分自身が子供だった頃に、同じような場面で、自分が親にして欲しかったことをしてあげてください。」とありました。
子育てをしながら、育児を通して、
幼かった自分の傷をも癒しているんだと。
この四年間。
どうしてこんなに回復したのだろう、
また、人間性が大きく変化したんだろうと
不思議でしたが、
この愛おしい子供達2人が、
自分達を通して、
幼少期に負った癒えなかった私の傷を治してくれているんだと…そう考えるととても腑に落ちます。
かつて、
私も摂食障害とともに18歳頃から退行が始まり、記憶しているだけでも34歳前後までそんな状態で母親を困らせていました。
子供には、自分のことが大好きで生きて欲しい。
著者の言葉を借りると、
根拠なく楽観的に生きて欲しい。
私が本当に子供たちの人生に望むのは、
それだけです。
一番安心できる人が、
この子達にとっておかあさんであってもらえるように、
日々、葛藤しながら、悩みながら、
子供達の成長を楽しみたいと思います。
いや、
今、気づけて、ほんと良かったわ。