私が思う、マジョリティとマイノリティとは、まず大前提として、子供が所属する社会、ここでは小学校以上において、クラスのメンバーの中の人種構成の話です。大多数の人種の方にいるのか、少数派の人種の方にいるのか。もちろん多少のバラツキはあってもいろんな人種がバランスよく、というのが理想的です。

この問題は子供の人格形成に非常に大きく関わってくると思っています。特に、英語習得を第一と考えるご両親は、それ以外のことに対する考慮をしない、思いつかない、傾向が多いのではと懸念しています。

 

子育てする両親世代は、自分が当然マジョリティの中、というかマイノリティなんていない、いてもあまりに少数すぎて気づいてもいない、日本人だらけの世界で生まれ育ってきた方が大半かと思います。そんな中で、子供にはマイノリティであることを推奨する、ということがどれほど子供にとってリスクがあるのか、本当に本気で考えた方が良いです。英語習得のため、と先走り、アジア人や日本人のいない地域に住み、マイノリティとして学校生活をする子供、もちろん学校にもよりますが、アジア圏でない限り、必ず1度以上は差別を受けています。これは断言できます。もちろん本人が気づいていない、もしくはそういうものだと幼少期からそれが当然の環境と思ってしまい声を上げることすら思いつかない、相手も差別だと思っていない、無知による発言、または声をあげたところで変わらないという諦め、多々あります。特に中高生は顕著です。

 

もし、万が一にも英語を身につけさせたい、だけの理由でアジア人の全くいない場所、そんなチョイスをするのであれば、本当にやめた方が良いです。英語は身につくかもしれませんが、性格ゆがみます。マイノリティとして生きる生きづらさ、親は理解出来ないと思います。なぜなら知らない世界だから。そして子供が自ら望んで入っていった世界ではないことをきちんと考慮すべきです。

 

特に小さい子は英語に限らず、すべてのことが初めての連続、不安がいっぱいです。他の子と一緒であることが精神的な支えとなって、社会生活を始める場合も多いです。もちろん子供の性格によっては、他人と違って目立つから嬉しい、と捉えて何もネガティブな感情を持たない子もいるかもしれません。が、それでもやはり大きくなった時に振り返ってみて、子供同士だけでなく、友人の親からの言葉も含め、あれって差別されていたのかな、と理解して遅れて傷つくこともあるかもしれません。特に子供同士は大人と違って配慮した発言なんてできません。とてもダイレクトです。何々ちゃんの肌なんで黒いの?なんでそんなに背が低いの?見えてる?なんでそんなに目が細いの?(お弁当の中身をみて)気持ち悪い。こんなの食べれるの?おぇー、などなど。

子供は親が大好きです。あれ?と思っても、親に心配させたくない、と家では何も言わない可能性もあります。ただ、事実としてはそのような経験をしています。

 

もちろん例外も多々あって、生まれてからずっとその土地にいて、すでに外国人のお友達がたくさんいる、保護者が日本のことを知っていて好意的、などであれば問題はないように思います。

 

とあるアジア圏で、みんなで集合写真を撮る時、大多数アジア人、白人の欧米人数人は背が低く、一人だけ背の高い西欧人がみんなと同じくらいの身長に見せるため、すこしかがんで写真を撮っていたことが忘れられません。これは一回だけの経験ではありません。小学校でもそのようにしている子を見たと聞きましたし、老若男女、誰しもどの国の人であっても、自分だけ目立ちしたくない、と思う人はいるものなのです。

 

一方で、日本人が多い場所に引っ越してもそれはそれでリスクがあります。日本にいるより小さな日本村社会が肌に合わない、現地の日本人が日本人ぶっているけど、全くアップデートされていなくて発言が昭和どころか大正、出会う外国人が妙に日本人に慣れていて、日本人とひとくくりにステレオタイプに見てくる、当然日本語でばかり話して子供の英語力が伸びない、などなど。

 

あーまた長くなってしまった。今日はこの辺で。