野球好きな、少年が集まり草野球チームを、17歳の時に発足する。

チーム名は,禿鷹、2年後に若葉クラブとして20年間つづいた。

 

3年計画を立て朝練習、夜もランニングと、若さに任せて、しやにむにやった。

中学校卒の若いチームだったが小野高校のエースが加わり、2年目に奇跡的に、小野市代表として兵庫県都市対抗野球補強選手を加え、壮行会をしてもらい初出場を果たした。

 

初戦は高砂市の鐘紡に勝ち、2回戦は川西市の能勢口クラブに8対4で負ける。

関西六大学野球で名前を聞いたことがある選手もいた。

初めて鋭角に曲がるカーブをみた。

 

好守を誇る、わが外野手もを軽くとれると思う飛球も頭を越され、実力の違いを思い知らされた。

 

市代表で東播大会には出場出来たが、直接県大会に行ける都市対抗だけは苦手なチームと良い選手を集めるチームに阻まれて出れなかった。

若き日の思い出です。

 

将棋は子供の頃から好きだった。

同業者であり同じ年の三村君は、神戸の藤内金吾先生からプロにならないかと進められたうでの持ち主です。

彼と出会い、友人宅で休みのたびに、勝ち残り対局していました。

勝ち続ける彼は1日持ち場を離れなかった。

 

初めて彼に勝った棋譜はしばらく覚えていた。

あの頃が、一番伸びていた。

東播大会C級で優勝して初段免状をもらう。

 

将棋の楽しさを皆に伝えたくて、その後、小野市中央公民館に将棋教室を作り、日本将棋連盟小野支部長として、50名の会員を集め、

年4回の大会を開催していた。

いまの久保棋士(9段)が、小学校低学年頃に参加していて、強い子供がいると思った記憶がある。

 

子供達と人間将棋を作り、広場で開催したことが懐かしい。

今は参加者も少なく、40年の間、皆で続けてきてくれた事を感謝している。

 

晩年はソフトボールで町内のチームの監督の下で世話役として働いた。

余程すきに生まれているんだ。

町内対抗の大会には役員さんの理解や援助もあり、ほとんどの大会に好成績を収めた。

 

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大貫刃物研ぎ処

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