「毎日迷ってるよ、これでいいのか。」
という
一止さんの声が頭をよぎらないでもない(~_~;)
いや、迷っていると言っても、それは「これじゃ全然わかんないだろう」ってところで、どういうふうに説明したらいいのかってところで、何をしたいのか、どう在りたいのかのところはブレてないです。ブレてないつもりです。
それは今の自分のレベルでしかないけれど、今の自分の精一杯のところで「ブレは無い」と思ってます。
で、表現はこれからどんどん変わっていくだろうな、とも思えるので、まだβバージョンなわけです。
表現方法がまだ自分でもすっきりとこないのです。
「まだ変わるって思ってるのなら、ブレてるんじゃん。」
というツッコミ、ごもっともなわけですが、変わっていくのは表現、つまり表に現す部分であって、私の本質は変わらない。
だから、自分の軸がブレるわけではないのです。
でも、その軸さえも変わっていくこともあるかもしれない。
それは、進化・変容、バージョンアップなわけで、そのときは素直に古いものは捨てます、ありがとうごめんなさい、と言います。
変わることが悪いことだとまったく思ってないのです。
変わらないことの方がむしろおかしい。
なんでこんなことまで書くのかな、と思うんだけれど、私の武器って「正直さ」しかないから。
いいところだけ見せるとか、出来ないし。
完成したキレイなものだけ見せる、ってことも、どうも性に合わないのです。
正直って、私は人に対してうんぬんよりも何より、自分に対して正直なんですね。
そのくらい自分が大事。
自分のことを大切にしている。
だから、自分に嘘をつくとか、自分が居心地が悪いこととか、自分の中にある違和感を見逃せない。
それがときに「厳しさ」や「頑固さ」となることも知っている。
それで人間関係がうまくいかなくなることも経験した。
そういうときはへこむ。とことんへこむ。
さらに、相当引きずる...。
でも、タダじゃ起きない!
ちゃんとちゃんと全部受け止めて、全部感じ切って、消化し終えるまで咀嚼し続けます。
だって丑年だもん(^^ゞ
咀嚼して血肉にします。
そういう自分の「咀嚼作業」をするのに、誰かと話しているときに、ふっと何かが腑に落ちるというときがあるのです。
(あー、やっと本題にたどりついてきた(^^ゞ)
誰かと話している時に、自分の中、自分の頭の中だけであれこれ考えるだけではたどりつけないところに突然行けるのです。
なぜそんなことが起きるの?それは、そういうふうに創られているから(笑)
人間ってそういうものなんだと思うんです。
脳科学的にどうこうという理由づけはもちろんあるでしょう。
それも結局のところ、そういうふうに創られている、ってことですよね。
別々の肉体を持って、でも社会という群れを作って生きる。
他者が必要なものとして、人間は創られているのだと私は思います。
そして、他者との会話はライブ!
シナリオは無い、即興、アドリブのみ。
だから、ダイナミックなんですね~。
でもなんでわざわざお金を払って、赤の他人と話をするの?
会話なんて毎日たくさんしているし、悩み事なら友達とか家族とか親しい人に話せばいいでしょ?
それでいいんです。
ただ。
それでももやもやするときには、プロ(第三者)の助けを借りてみるのもいいものです。
それに親しい人ほど話せないこと、なんとなく話しにくいことってありませんか?
日常生活の中ではなかなか落ち着いて話せないとか。
そんなときに、少し日常と離れた空間に自分をおいてみるのもいいのではないでしょうか。
じゃあ、友達と何が違うの?ひとつは、距離感でしょうか。
親しい人はあなたに関する情報をたくさん持っているから、的確なアドバイスが出来るというメリットがあります。
あれこれ背景を説明する手間が省けるというメリットもあります。
反面、その情報が「先入観」になります。
「あなたってこういう人だよね。」という思い込み。
そして、親しい人は「利害関係」が入り込みがちです。
利害関係というときつい言い方かもしれませんが、「こうしてくれた方が私は嬉しい。」という無意識の期待が入ります。
「普通はこうだろう。」というような、その人の価値観もあるでしょう。
第三者である私は、もう少し離れたところにいます。
先入観なしに、ただ目の前にいる今この瞬間の「あなた」だけを見ています。
あなたの背景ではなく、いまここにいるあなた、を感じています。
一番の大きな違いは、私の意図、です。
私はあなたの本質だけをみる、ということを意図して、この「場」にいます。
あなたは無限の可能性を秘めた存在であるということを「知って」、この「場」にいます。
つまりどんなふうにも変われる、あなたが望むままに変化することが出来る、という「場」です。
あなたの本質は光り輝く存在である、それを表に現わしていいんだよ、という意図を持って、その「場」にいます。
そうであるように「期待して」いるのではなく、「知って」いるのです。
でもそれって、何をしているの?何もしていません(笑)。
実は、「何もしない」が一番むずかしいのです。
アタマは常に動こうとします。
考え始めます。
分析し始めます。
判断し始めます。
答えを探そうとします。
そういうものを一切手放して、ただ何もせずにあなたといっしょにいます。
あえていえば、『あなたの本質だけをみる』ということを意図して、います。
「観察者」という表現をしているのは、こういう意味です。
量子論では、「観察者が事象に影響を与える」といいますよね。
それです。
と、ざっくり言いすぎ(^^ゞ
私があなたを「問題がある人だ。」と見れば、あなたは問題を抱えた困っている人、になります。
私があなたを「なんの問題も無い。光り輝く存在。」と見れば、あなたはその光、になります。
と、簡単に言いすぎ(^^ゞ
でもそれだけのことなんです。
わかったような、わかんないような...。
それででもなんで、「話すだけ」なの?なんででしょう。
私が一番得意だからです(笑)。
もしくは、それで十分だと思っているから、かな。
もしかしたら、必要と感じたら、からだに触れることもあるかもしれません。
ライブなので。アドリブで。
でも、量子論なんです。
つぶつぶです。波動です(^^ゞ
実際にからだに触れる必要は本当はないんです。
でも肉体を持っているから、その方がわかりやすい、ということもあります。
触れると安心する、ほっとする、という場合もあるかもしれません。
つまり、ここまで書いてきたようなこと。
これが私のセッションの雰囲気なんです。
「私のセッション」をうまく言葉で(一人称で)説明することが出来ないので、「あなた」と会話する、というかたちをとってみて、自分の思いを外に出してみました。
こんなふうに会話していくことで、自分のもやもやした想いが形をとっていきます。
ならば、これを自分でやればいいじゃんって話ですが、これあくまで自分の「想定の範囲」を出ないんですね。
ある程度のところまではいけますが、他者が、それもちゃんと意図した「観察者」がいることで起きることはもっと「ダイナミック」です。
自分がやりたいセッションって、結局のところ自分が受けたいセッションなんです。
自分にとって一番効果がある、自分が必要としているものなんですね。
会話していくなかで、自分の中に訪れるひらめき・気づき。
それが私を大きく変えてくれました。
その経験を誰かとわかちあうことが出来たら、幸せです。
まだよくわからないな~。はい(^^ゞ
本当は言葉では説明出来ないことを、言葉で説明しようとしているんですから。
あなたの直感で、「会ってみようかな。」があったら、体験しにきてください。
「知識」は「体験」になります。
私もあなたを体験したい!