自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~ -21ページ目

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。


わたしは、生きたい。

生きて、生きて、生き切りたい。


身の丈ぜんぶ、よりも、もっと。

もっともっと、生き切りたい。



せつなさや焦燥ではなく、強く静かにそう思う。



「生きることを素晴らしいと思いたい」

ずっとそう願い続けてきた。



もう、願い事はかなっている。


気を取り直して、もう少しoutputする。


離婚を決めた時、「0対100であっちが悪い」と思っていた。

そう、私は完全な「被害者」だった。
自分をそうとらえていた。

その時は、それが必要だったんだろう。
そのくやしさで、なんとか踏ん張って、毎日の生活を乗り越えていった。
離婚することによって、何かを失ったと思いたくなかった。
だから、運転免許も取って車も買った。
それまで行けていたところに、ひとりでは行けないということが悔しかったから。

買ったばかりで35年ローンが始まったばかりのマンション。
名義の書き換えも、ローンの借り換えも、全部ひとりで手続きした。
いい加減で根性の無い元だんには出来ないだろう、でも私はひとりで出来るもん!と。

それからしばらくは頑張って頑張って頑張ったなぁ。

ざっくり端折るけど、それからまたいろんなことがあって、
いつの間にかスピリチュアルな道に足を踏み入れて。

いつだったか、「私も悪い」と気がついた。
物事に、0対100はあり得ない。
向こうも悪いけど、こっちも悪い。

0対100が、1対99になり、10対90になり。

30対70くらいになり。

やっぱり、50対50かな、と思うようなり(^^ゞ

途中、自分の方が悪いと思った時期もあった。
こんな自分だったからダメだったんだ、と。
私も加害者だった、ではなく、私が加害者だったと自分を責めたこともある。


でも、結局、どっちもどっちだと思うようになった。
どっちも悪かったよな、と。
何にも考えずに結婚なんかしちゃったんだもん。

そんなふうに納得していた。
うん。
「納得」していたんだ。




「女性性の癒し」というテーマがぽっかりと出てきて、最初は、傷ついた自分、つまり被害者だったかわいそうな自分をあらためて優しく感じてあげるのかなって思った。

でも違う。

一方的に被害者だったわけではなく、被害者でもあり、加害者でもあった。

そう気がついた。


そして、それも違うんだよね。


被害者でも加害者でもない。

ただ、ベストなタイミングで、ベストな人に出会っただけ。
お互いに、あのとき、あのタイミングで必要な人だった。

必要なことが起きただけ。

いいも悪いも無い。

ただ起きたこと。


全ては最善。






今まで、「全ては最善」と言っている人に何か違和感を感じていた。
「最善のことが起きている」と言ってそれ以上見ようとしない。
ふたをしてしまっているような。
振り返りも反省もしないで、ただそう言って終わりにしてたら、進歩は無いんじゃないの?って思ったり。
でもどこがどう違うのか、自分の感じるその「違和感」をうまく表現できなかった。


「最善」って、受け入れることなんだよね。
ちゃんと全部味わって。
痛みも苦しさも、嬉しさも楽しさも、全部感じ切って受け入れる。

そうしたら、もうそれを痛みとも喜びとも名づける必要がないことがわかる。

それがただ「最善」ということ。

出来事でも行為でもなく、ただその状態まるごとのことを「最善」と呼ぶのだ。



その強さ、美しさ。


それを、今、感じる。



受け入れるということは、受け身でも弱さでもなく、

積極的で、強く、

そして、豊かで、美しい。



自分の中にあるものが、

さらに強く、さらに豊かになったことを感じる。

その美しさこそが、「女性性」なのだと思う。


離婚を決めた時、「0対100であっちが悪い」と思っていた。
もう1回、今度は素晴らしい人と結婚して、絶対に幸せになってやるって思った。


元だんという人は、北海道出身の本当に素朴でいい人だった。
そう、「いい人」だった、バ○がつくくらい(-_-;)

一番付き合いの長い友達に結婚することを報告したら、「ぜひ一度会わせてね。」と言われた。
3人で会って食事をして。
そのあと、2人だけになったときに彼女は言った。

むっちゃんの好きな人って、尊敬できる人だよね?
なんだか意外なんだけど...。


実家に挨拶に行ったあと、父から言われた。

彼は東京で仕事をしていく覚悟は出来ているのか?

ほんの数時間しか一緒にいなかったのに、特につっこんだ話をしたわけではなかったのに。
彼は東京のような大都会で、競争してそれでも踏ん張って頑張って、男としてしっかり生きていけるのか、と父は言いたかったようだ。


私だってそれは薄々わかっていた。
でも結婚を止める理由にはならなかった。

だって、ラクだったから。


一緒にいてもなんにも気を使わなくていいし、頑張らなくても飾らなくてもよくて、そのまんまでラクだった。
それは会った瞬間からそうだった。

でもまあそんなことは、後からアタマで考えて理解したことだ。
そのときは、ただただラクでだらだらと付き合っているのが新鮮で楽しかった。



付き合い始めてしばらくして、ひとつのビジョンをみた。
夢ではなく、目が覚めているとき。白昼夢とでもいうのか。

ふわふわと漂っていたそれまでの自分。
それが下に、地面へと降りていく。

そこにはたくさんの人が待ちかまえていてくれる。
魚屋さんとか八百屋さんとか、駅員さんとか、近所の人たち。
この世界できちんと地道に働いて日々を生きている人というようなイメージ。

地面の数十センチ上を漂っていた自分が、やっと着地する。
みんなが「良かったね」「よく来たね」と、パチパチ拍手して迎えてくれる。

ああ、私はやっとこの世界に迎え入れてもらったんだ。
やっと私、着地出来た!

ほっとして安心して、涙がこぼれた。
嬉しくてたまらなかった。


それまでふわふわと漂っている自分、なんて感じたことはまったく無かった。
それでもこのとき、「着地した」という実感があった。
この人が、私をこの世界につなぎとめてくれるのか、と思った。




忘れてました。
このことも。

覚えてたけど、忘れてた。


なんか、「くっそー!」って感じだ。
ホントは、もっと違うこと書くつもりだったのにな。

これを思い出す必要があったのか。


くっそー!!

ホント、いろいろとごめんなさいっ!!とありがとうだっ!!


ビデオの件を思い出した時に、
「こんな大事なこと、すっかり忘れていたなんて?!」
と驚いた。

でも、もっと凄いことをすっかり忘れていた。
それからだいぶたってから気がついた。
つまり、ビデオのことを思い出したときには、思い出せなかった。

それは、

そもそも、なんで結婚したんだっけ?


どっひゃ~ヽ(^o^)丿




私は、自分が「結婚」というものをするとはまったく思っていなかった。
関心が無かった。
どこかで、自分とはまったく関係ないことだと思っていた。
結婚して子供を産んで家族を作ってということに、まるで実感が無かった。


大学生のとき、数人集まってわいわいと話をしていたときのことだ。

結婚したら仕事はどうするか。
子供が出来たらどうするか。
いったんやめて、子供が大きくなったらまた働くのか。働けるのか。
仕事を続けるためには、どういう仕事を選んだらいいのか。


熱心に話す友達を見ていて、思った。

なんで、結婚するってことが前提になってるの?
絶対に結婚するって、なんで思うの?
結婚するとは限らないよね。


そう尋ねると、ひとりがこんなことを言った。

高校生のときの授業(なんの授業かは忘れた)で、結婚率みたいな円グラフがあったでしょ。
全体の8割(だったか9割だったかは忘れた)が生涯で1回は結婚するって。
それだけほとんどの人が結婚するならば、きっと自分もよほどのことが無い限り、結婚するものだって思うでしょー。


私も同じグラフを見た記憶はあった。でも。

これだけほとんどの人が結婚する中でも、結婚しない1割(か2割)っていうのが確実にいる。
それならば、自分はその1割だと思う。


この違いはなんなんだ(~_~;)
この真逆の反応に自分でもびっくりだったので、このときのことはよく覚えている。


別に結婚を嫌悪していたとかということもない。
ただ「私はしないな」とだけ思っていた。
理由もない。
まったく「関係無いこと」だった。



そんな私がなぜ、結婚したか。


確か20代の終わりか30代の初め。
駅ビルの中にあるカルチャーセンターの「ヨガと瞑想」というクラスに行っていた。
とてつもなくカラダの固い私が、なんでヨガのクラスに通い始めたのかはあまりよく覚えていない。
ヨガだけだとついていけないけれど、瞑想とセットになっているのなら、あまりハードでないだろうとこのクラスを選んだような気がする。
平日の夜、仕事帰りに寄るのにちょうどいい時間だった。

クラスの最中にふと気がつくと、先生の師匠にあたる人が後ろにいることがたまにあった。
最後にその方が少しお話しをされることもあった。

何ヶ月か続けるうちに、同年代だった先生とも親しくなって、その師匠にあたる方のお話会に誘われて本部に行ったりもした。(こうやって書くと、なんかあやしい勧誘ちっくだな^_^;)
マンションの1室で、集まる人も10人前後の小さな会だった。
一度だけ、ヨガ合宿というのにも参加した。(合宿と言っても、通いだったが。)
そんなこんなの距離感でヨガをなんとなく続けているときに、その方がインドで公開サマディを行うという話を聞いた。
女性では世界で初めての行で、5日間地中で瞑想をすると。
正直に言って、当時の私はさっぱり意味がわからなかった。

飲まず食わずで地下に埋められちゃっても死なないの???
5日間、ずっと座りっぱなしだったら、足腰立たなくなるよね???
といった疑問だらけ。
それでもまあ、ヨガの先生とのお付き合いというような感覚で、あまりよくわかっていないままご寄付のようなことをした。(つまりそんな大金じゃありません。)
お祈りをしていただくお布施のようなもの。
行が無事あけた、その祝福の場で祈願とともに燃やしていただける。
つきましては、願い事を書いて提出してくださいと言われた。

でも特に何も思い浮かばない。
そのころから既に、あまり何かを欲するということがない人だったので、何かとりたててお願いするようなことも考えつかなかった。
それで、ヨガの先生に聞いてみた。

どんなことをお願いすればいいんですか?
みなさんどんなことを願われるんですか?


やっぱり独身の女性の場合は、結婚できますようにというのが多いかなー。

いやー、私は別に結婚したいと思っていなんですけど...。

それでも結局なんにも願い事が思い浮かばず、期限も迫ってきて、とりあえずまあいいっかーと。
「素晴らしい伴侶にめぐり合えますように。」と書いたような気がする。
正確な文章は忘れたが。
確か、100回紙に書いたような記憶があるなぁ。
それを封して、インドまで持って行ってもらって、お焚き上げみたいのしていただいたんですね。
火にくべているのを、後からビデオで見せていただきました。
先生が地中にいる5日間は一緒に精進もしてました。
玄米菜食で、インド時間に合わせて瞑想したり。


それでもう結末は想像ついてると思いますが。

その1年後くらいに元だんと知り合って、あっという間に「結婚」しちゃったんですね。
初めて会ったちょうど1年後に入籍しました。

それまでまったくなんにも考えていなかったのに、「結婚」しちゃったんですからね。
ふってわいたように、元だんは突然現れたんですから(~_~;)
やっぱり、なんか成就しちゃったんでしょうね。
ただのお付き合いでもいいのに、なぜか「結婚」の流れになってました。

引き寄せの法則とか、新月のアファメーションとか、思考は現実化するとか。
最近のそういうものぶっちぎりって感じで、20年前に経験してたんですね。
願い事は、100回書いたその後はもうすっかり忘れていました。
願った後は忘れる(手放す)ってこと、大事なんだなぁ。

そんないきさつがあったんだってこと、長いこと忘れてました。すっかり。


この先生のことは記憶の奥底にはあったのです。

1回目のサマディを終えてしばらくはまだ、たまにふらっとカルチャースクールのクラスに現れることもありました。
多分、そんなときに聞いた話がこれ
 いや~、それにしてもこの文章。
 3年ちょっと前でもこんなにカチコチだ、自分(~_~;)
 かわいいっちゃ、かわいいけど。
 必死だな、オマエ、って感じ。



今は凄い組織になっているみたいですが(@_@;)(ちょっとぐぐってみた)
当時はまだまだアットホームな集まりで、私は瞑想用のマントラもいただいたし、ヨガ合宿に行ったときに呼ばれてイニシエーションみたいのも受けてました。
サマディのおみやげで数珠もいただいてた。護符みたいのもあった、そういえば。
いやー、びっくり。
ホントに何も知らずに、なんだかわからないまま、受けてました。



それにしても、いろんなことは忘れるのに、瞑想のマントラって忘れないものなんだなー。
口伝で耳元でささやかれたのだけど、今でもごくたまにそのマントラを唱えることもある。
なにしろ瞑想は苦手、ひとりでやるとすぐに寝てしまう人なのだけれど、ここのところ「瞑想」ということがよく目に入ってくるってことは、1度まじめに取り組んでみる時期なのかもしれない。


いつまでたっても「女性性の癒し」の話にたどりつかないけれど、芋づる式に思い出すあれやこれや全部ひっくるめて、もう一度思い出して感じて忘れる、というプロセスを今やっているのかもしれない。


自由な生活になってから、まったく忘れていた過去を思い出すということが、ぽつりぽつりと起きていた。
今まで忙しすぎて、味わいきること・感じきることが出来ていなかったことが、もう1回陽の光の下にでてきて、感じて、そして終わっていく。


そんなことのひとつに、結婚といおうか、元だんなのことがある。

今の自分にとっては、結婚していたことがあったなんて自分でも信じられないくらい遠い昔のことで、まったく実感が無い。
いったいいつごろだったかさえ覚えていないので、今ちょっと各種書類を探してみた。
どうやら平成11年の6月に離婚したらしい。
6月に離婚したことさえ、記憶になかった。
もう13年も前のことだから、そりゃ、覚えてないはずだ。
5年ちょっとの結婚生活だった。



去年、片づけ祭りをしているときに、
「そういえば、あのビデオはどうしたんだろうか?」
と思い出した。
(いや、ビデオってあやしいのじゃないですから(~_~;))


元だんと知り合ったのは、某有名アーティストのファンつながりの場だった。
パソコン通信の中のファンの集まりみたいな、今で言うとmixiのコミュみたいな場で知り合ったのだった。
今でこそインターネットが当たり前にあって、ネットで知り合うなんてごく普通のことになっているけれど、当時はやっとインターネットが出現したばかりのころで、パソコン通信全盛期。
一般社会の中ではパソコン通信というものも、まだそれほどポピュラーではない時代で、「ネットで知り合って結婚」というのは言う相手を選んだ。
うっかり言うと、アブナイ人・アヤシイ人とか、騙されてると思われかねなかった。

今からは想像がつかないかもしれないけれど、20年弱前ってそんな時代だったんですよ。
windowsだって、まだ画面は1枚だったし。
マックだって、カラークラシックが出て、LC630が出て、やっと普通の人でも買える値段になってきたころ。
私が初めて自分で買ったパソコンはLC630だった。
それまでは、友達から貰った中古の98とか使ってたりしたんだよなぁ。

そういえば、通信カラオケというものが出来たのもこのころで、それまではカラオケとは1曲100円でスナックで歌うものというイメージだった。
通信カラオケのカラオケボックスが出来て、こんなに曲が入っている!と大騒ぎして、オフ会とかやりました。
ありったけのそのアーティストの曲を入れて、2時間とか3時間、ぶっ通しで全員で歌うとか(^_^;)

そんな仲間内で知り合って結婚したので、そしてネットの黎明期みたいな時代でもあったせいか、なんとその超有名アーティストから、結婚おめでとうのビデオメッセージをいただいたのでした。

結婚するということを知った仲間たちがサプライズパーティーを開いてくれて、そこで最後に「なんとあの人からも!」と、ビデオでご本人登場。
ダメ元で、結婚する二人にメッセージをいただけたら、とメールしたら、なんとビデオを撮って送ってくれたそうな。
ビデオだって、そんなにありふれた時代じゃなかったんですよー。
プロモーションビデオだって、これからの時代。

いやー、私たち二人より他のメンバーの方が、まさかのご本人登場に大騒ぎだった。
「こんなにファンを大事にしてくれる!」ってことで、みんな大はしゃぎだったなぁ(*^_^*)

「○○(←その集まりの名称)のみんな!」って言ってるみんなの中には、オレも入ってるんだよぉ!
オレのことも呼んでくれたってことじゃないかぁーーー!
みたいな感じで(^_^;)

そういえば、その後に本人からメールも貰ったなぁ。

こんなにみんなに祝福されて結婚したのに。
ごめんね、別れちゃって(笑)
今も円満に暮らしていたら、あのビデオは超お宝映像だったのに。
「生活といううすのろ」を乗り越えること、出来なかったです...( - -)トオイメ


結局、そのビデオは片づけ祭りで見つからず、恐らく、離婚の際にあちらの荷物の中にブチ込んでやったのだと思う。



タイソウなタイトルを付けたわりに、書き出したらなんだかこんな過去を懐かしむ内容になっちゃいました。
これはこれで面白いけれど、書こうと思ったところに全くたどりつけない。
このさい外に出したいこと、まだまだあるので、シリーズで書く(かもしれない)。


いったん、CM入りま~す(▼_▼)o¶タモリ


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いろいろあって今がある。
6月から、正式オープンします。